先日、言葉の意味を間違って理解している人が多い例として、文化庁の調査結果からいくつかの例が紹介されていた。新聞のニュースなど読んだ方も多いと思う。
「気が置けない」
「にやける」
「うがった見方」
「失笑」
などである。
その中に「正反対」の意味で「真逆」という表現を使う人が多いという記述があった。若い頃はまだ表現力が未熟だから、そんな間違いをしてしまうのかもしれない。もっと分かりやすい表現を覚えて、普通の言葉を普通に使うようになってほしいものである。
こういうことを言うと「言葉は通じなきゃ意味がない。時代が変われば意味も変わっていく」などという反論をよく耳にする。「真逆」などという造語を作らなくても、「正反対」という言葉がある。それを使えばよいのである。そんなことを考えていたら、次のような新聞記事を発見した。
いやはや、新聞記者ともあろう者が、記事の中でこんな表現を使うとは。多分、未熟な表現力しか持たない若者が、そのまま新聞記者に採用されてしまったのであろう。しかも「真逆」に「まぎゃく」などと 重箱読み のふりがなまで付けている。そんな表現法を使わなければならない必要がどこにあるのか。それをチェックしなければならない校閲やデスクも、その役割をはたしていない。彼等も同じように未熟な表現力しか身に付けていないのかもしれない。嘆かわしいことである。