![]() ── アメリカにおける人種差別▼人種差別 アメリカでは、黒人差別の問題が起こると“Black Lives Matter”(BLM)という表現を使って盛んにアピールするようになった。BLMは日本語に翻訳すると「黒人の命も大切だ」という意味になるらしい。何んとも、こなれていない訳ではある。 「黒人の命“は”大切だ」ではなく「黒人の命“も”・・・」と表現するところが重要なのだそうである。“は”では黒人以外の命は大切ではないのか?! と異論が出てくるから“も”にしたのだという。日本語の表現でこんな議論がなされていると知ったらアメリカの人たちは驚くことであろう。 英語の“Matter”は「問題」とか「重大な事」という意味だから「大切だ」とか「大事だ」と解釈しても構わないが、ここでは単に「○○問題」として固有名詞のままの方が自然で、かつ使い勝手も良くなるのではないかと思う。 更に言えば、アメリカにおける人種差別では単に白人が黒人を差別するという単純なものばかりではなくもっと重層的である。同じ白人でもいろいろな人種が混じっている国だから白人間でも差別が存在する。人種とは関係なく貧富の差で差別されたり、差別される者が更に弱い者を見つけて差別するという場合もある。もちろん日本人も差別の対象となっている。 つまりアメリカにおける人種差別では、すべての階層に渡って何らかの差別が存在している。それらは必ずしも命に係わるものばかりではなく、いじめや嫌がらせ、無実の罪に陥れるといったものまで様々なものが含まれている。そういうものを無視して“Black Lives Matter”と言って黒人への差別だけを取り上げるのはいかがなものかとも思う。したがって日本で言及するときは“黒人”も“命”も省いて単に「人種差別問題」と表現すべきではないかと思うのである。 私が仕事でアメリカに長期滞在していた頃の体験では、差別の程度は今とたいして変らないように思う(差別に関する私の当時の感度が鈍かったのかもしれないが)。しかしトランプ大統領以降の、あのあからさまな差別的発言や差別的政策には正直、驚かされている。 たとえば、警官による黒人への差別的な扱いは昔からあった。最近急に数が増えた訳ではない。今まで公になっていなかったものが暴露されるようになっただけのことである。これには日本人のある発明が寄与している。 携帯電話の技術的進歩の過程でカメラ機能が付加されたのは日本人技術者の努力によるものである。スマホにカメラ機能が常備されるようになった結果、身近に起った出来事の多くは、たまたまその場に居合わせた人のカメラで撮影される機会が増えた。ちょっとした暴行事件でも簡単に映像データとして残されるようになった。 それまで目撃証言と言えば、警察関係者からのものばかりだったから、事実が隠蔽されることが多かった。それがスマホのお陰で証拠が明るみに出るようになったのである。リアルな映像情報の存在は、想像以上に強力な決め手となることを我々は学んだのである。 ▼私の体験したこと アメリカ生活が長くなりいろいろな体験を重ねる内に、気が付くと自分も同じように人を人種で区別し常に警戒的な目で見ていることに気が付いた。 以下に、私の体験のいくつかを紹介してみよう。 (1)事例1 私が滞在していた当時のソフトウェア会社や研究所などでは、技術者同士で議論をしていても黒人の技術者が席を外すと、残った白人がその黒人の悪口を言うという場面によく出くわしたものである。私はそれを聞いていて人種差別の一端に触れたような気がしていやな気持になったものだ。そして、もう少し仲良く出来ないものかと思ったりした。 後から考えると、当時のアメリカのソフトウェア会社や研究所内の職場では滅多に黒人技術者の姿を見掛けることはなかったような気がする。黒人の女性事務員はよく見かけたが。これも人種差別の結果であることに気が付いたのは、その後十数年経ってからである。 (2)事例2 研究所で仕事をしていた当時のことである。日本人技術者3人で夜遅く帰ろうとして駐車場に出て、自分の車の置いてある場所へ向かって歩いていた。夜も遅いので車の数も少なくなっていたので遠くから自分の車が見える。よく見ると車のボディーが何か変にキラキラと光っているようだ。不思議に思って近づくとリアウインドウのガラスがすべて粉々に打ち砕かれてなくなっているではないか。ガラスの破片がボディーの上や車内の後部座席の上一面に散らばっていた。暗くて破片がよく見えないので危険である。後部座席には乗れそうにない状態になっていた。 昼間、車を駐車させたとき近くで黒人の若者たちがたむろしてこちらを見ていたのを思い出した。「やられた!」証拠はないが彼らの仕業に違いない。 3人で使っている車なので、全員前の座席に座って私が仲間を順番に自宅まで送って行ったのを覚えている。レンタカー屋で借りた車だから事故保険に入っているので金銭的な被害はないからよいが、悔しい思いだけは残った。 その他、昼休みに運動を兼ねて街中を歩いていると、遠くから黒人の子供達に石を投げられたこともある。そういうときはいちいち反応せずに無視するに限る。そういうことが度々起こると精神的にかなりタフでないと生きて行けないと思うようになる。そして自然に黒人には警戒心を持つようになっていった。気が付くと自分も差別心をもっていることに気が付いたのである。 それまでは、夜帰宅してから家の近所をジョギングしたりしていたが、これは極めて危険な行為であることをアメリカの友人に教えられた。以後、夜の運動はしないことにした。 (3)事例3 アメリカで生活するには常に車が必要である。長期間の滞在予定が決まっていれば車はリースで借りるのが費用の点で望ましい。しかし私のように技術者として派遣された場合は、滞在期間がはっきり決まっていないことが多い。プロジェクトの成否によって決まるからである。プロジェクトが突然打ち切られる場合もあるから長期間借りるのはかなりリスキーである。 そこで私は、普通は1ヶ月単位でレンタカーを契約することにしていた(これは会社の指示でもあった)。毎月契約の切れる直前にレンタカー屋へ行って再契約していたのだ。車好きの人なら、いろいろな種類のアメ車に乗りたいと思うだろう。毎月異なる車を借りればよいのだからこんな贅沢な借り方はない。しかし私は仕事の方を優先しなければならない立場だから、安全運転のためには使い慣れた同じ車を使い続ける道を選んだのである。 あるとき再契約に行くと、レンタカー屋の女性の係員が出て来て私の乗ってきた車をチェックすると言いだした。今までそんなことを要求されたことは一度もない。女性係員は外に出て来て私の乗ってきた車体の周りを一周して観察し始めた。そして「ここにキズがある」とか「ここにも擦った跡がある」と難癖を付け始めたのである。「それは借りたときからあった瑕だ」と主張しても一向に聞き入れようとしない。書類に細かく記入している。明らかに嫌がらせである。東洋人だと差別的に扱われることを私はしばしば経験していた。 私は黙って見ていることにした。たとえ瑕が付いていても保険でカバーされるから少しも困らないと分かっていたからである。 書類への記入が終わったところで、彼女は私の契約書を見てある項目を読んで慌てることになった。そこには“Full Coverage”(事故を起こしても全面的に保障される契約)という項目があり、その頭にチェック印が付いているのに気が付いたからである。 彼女が今作ったばかりの書類をどう扱うか、私は黙って見ていることにした。作った書類が無駄になったときはその人の見ている前で破棄するのがルールである。彼女は悔しそうにその紙を破り捨てたのであった。私は「ザマ~みろ」と言いたかったがグッと堪えた。実は、そんな上品(?)な言葉の英語表現を知らなかったので、何も言えなかったのである。 後で考えたのだが、あの時、日本語でよいから「ざまあみろ」と叫んでいたら、かなりの鬱憤を晴らすことができたのにと思った。私は、悔しいときは日本語で叫んで憂さを晴らすとよいことを、このとき学んだのであった。 ▼企業人の注意すべきこと 本稿ではアメリカにおける「人種差別」を取りあげた。この程度のことならなぜ今まで取りあげなかったのかと疑問に思う人がいるかもしれない。 アメリカでの人種差別については、これまで私はエッセイの類いでは触れたことがない。それは企業人として触れてはならないテーマだったからである。その理由は、東芝のようなワールドワイドに事業を展開している会社の一員である以上は、他国の恥部に触れるようなことを書いてはいけないことになっていた。たとえ書く場所が社内報のような内輪のものであっても、現地法人に勤めているその国の人たちもまた会社の一員なのである。彼らが読んで気を悪くする可能性のある記事の取り扱いに関しては慎重でなければならない。 そのために、社外に文書を発表する際は必ず会社の許可を得てから発表する規則になっている。 最近のように、ネット上でSNS等に気楽に投稿する人が多い時代では、余計なことを“つぶやいて”何かと物議を醸して世間を騒がせている人が多いのは周知のとおりである。企業に属する方々は、社外に公開する文書の管理について増々扱い難くなる時代に生きていることを自覚し、油断なさらぬよう注意されたい。 ![]() |
2020年12月29日火曜日
今だから話そう「人種差別」
2020年11月29日日曜日
今だから話そう「グリーンベレー」
![]() ── もはや時効となったお話(2)![]() 長年に渡ってエッセイを書き連ねてきたが、テーマによってはどうしても書くのをためらうものがある。もちろん、個人的なことで失敗した話とか勘違いで恥をかいたような話は書きたくないのは確かだが、その類いの話はいずれ時間が経てば自ら人に話せるようになる。そう思って私は、これまでの人生で苦労したことや悩んだことなどをできるだけエッセイに書くことで身軽になって生きようと努力してきた。 一方、仕事に関することだと機密事項もあるから、会社あるいは特定の個人に迷惑が掛かる恐れもあるので、どうしてもエッセイのテーマとして取りあげるのを控えてきた。その結果、仕事に絡んで抱え込んだ悩みの持って行き場がない。どうしたらよいものか。 これまでは、親しい友人たちとの懇談の場で思い出話としてさり気なく話してしまえば身軽になれると思っていた。しかしそういう機会は案に相異してなかなか訪れないもので、いつまでも重荷を背負い続けているのが現状である。結局は“墓場まで持って行く”ことになると最近は思うようになっていた。 ところが、コロナ禍以後私の考えが少しずつ変わってきた。もはや時効として公開しても構わないのではないか、と。「今だから話そう」シリーズにしたら結構面白いかもしれない(*1)。 【注】(*1)シリーズにする程テーマが沢山あるわけではない。しかし以前紹介した“とっておきの話「コワイ先生」”は、実はその種のテーマに属していたものなのである。そこで、後から“今だから話そう「コワイ先生」”とタイトルを変更することにした。ここでは、今から45年程前、メインフレームのソフトウェア開発を担当していた頃の話を紹介したいと思う。 PL/Iというプログラム言語の処理系(コンパイラ)を開発していたときに経験した話が中心となるので業務と密接な関係がある。そのとき経験したことの多くは、実は今まで個々には紹介してきた(*2)ものである。私は、日常生活で起こる様々な出来事になぞらえて、コンピュータの技術(特にソフトウェア技術)を分かり易く紹介するという方法を編み出し「ソフトウェアと〇〇」というタイトルの一連のエッセイに仕立て上げてきた。しかしその背後にあった私の関わってきた仕事については明確には触れないできた。今回は、それに言及しなければうまく説明できない話なのである。関係者に迷惑を掛けないよう心して書くことにする。 【注】(*2)今まで紹介した技術とエッセイのタイトル一覧は、最後の▼参考資料を見てください。ブログ上でのJavascriptの表現に制限があるので、以下はホームページ上に移動します。 つづきは…[こちら]へどうぞ。 ![]() |
2020年10月21日水曜日
歩数計
2020年9月15日火曜日
とっておきの話「コワイ先生」
![]() ── もはや時効となったお話▼担任の先生 小学校時代の話である。当時通っていた学校には校内一怖いと言われている教師がいた(M先生としておこう)。多くの生徒たちが「あの先生、コワイよね」と話していたのを覚えている。本当かどうか疑わしい武勇伝を話す子もいた。私が五年生になるときにたまたまその怖い(コワイ)と言われているM先生が私の担任になってしまったのである。それまでは、ずっと女性教師が担任だったので男性教師は初めてである。増々怖さがつのってきていた。 最初の授業の日、まだ全員の席次も決まっていないので皆教室の後ろの方にたむろして立ったままでM先生がくるのを待っていた。まもなくM先生が教室に入ってくると我々の方を見て突然叫んだのである。「帽子を被っているのは誰だ!」 それは明らかに私のことであった。当時は学生帽などなかったので私は野球帽か何かを被っていたのだと思う。教壇の前に出てくるよう命ぜられた。まずいことになったと思ったが隠れている訳にはいかないので前に出て行った。私以外にも帽子を被っていた者がいて、結局3人が叱られることになった。 私はぶん殴られるかもしれないと覚悟していたが、意外にもやさしい声で「帽子はどこで被る物なのかな?」と聞かれたので「外です」と答えた。叱られる場合は相手の顔に視線を向けて話を聞くよう教育されていたのだが、M先生はウルフの様な鋭い眼光の持ち主だったので私は正視するのが怖くて、何となく先生の口元辺りに視線をずらしてお説教を聞いていた。その後はやさしい口調で諭されただけであったが、最初の怒りはどこへ行ってしまったのか、口元の形はどう考えても微笑んでいるようにしか見えない。今は叱ることを楽しんでいるように見える。不思議な先生だなぁと思ったものである。 どうやら、最初にガツンとやって全員の気持ちを引き締めておこうという作戦だったようだ。私は絶好の獲物にされてしまったのである。 以後、M先生を良く観察していてどんな場合に叱るのかが分かってくると段々と叱られないで済むようになってきた。ずっと女性教師だったので緊張感が足りなかったのだ。私はこのとき、男社会の中で生きていく上での厳しさ(?)の一端に初めて触れたのかもしれない。そして、もっと強い精神力を持つ必要があると学んだのであった(おい、本当かよ?)。 先生は運動ができるし、絵を描いたり粘土で焼き物を造ったりするのが得意で何でも器用にこなす素晴らしい先生であることが分かってきた。以後、卒業までこのM先生のお世話になった訳である。 ▼お米を貸して ときどき家庭訪問ということでM先生が予告もなく家にやってくることがあった。家の中に入る訳ではなく庭先に突然姿を現し縁側に座って母親と話し込んでいたりする。私はM先生の姿を見つけると素早く姿を消すようにしていたので、何を話していたのかは分からない。 ある秋の夜のことであった。家族全員が寝てしまった深夜になって庭に面した雨戸をホトホトと叩く音がする。内に向かって呼びかけている声も聞こえてくる。母親が雨戸を少し開いて何か話している。月明かりの中で母親と何か押し問答をしているようであった。どうやら相手はM先生の声のようである。「お米を貸して欲しい」と言っている。 後で母親から詳しく聞いたところでは、先生はどうやら麻雀に夢中になって最終電車に乗り遅れ帰宅できなくなったらしい。当時は食糧事情が悪く米が不足していたので、どこかに泊りたければ必ず米を持参する習慣になっていた。そこで、M先生は私の家で米を借りて学校の宿直室にでも泊めてもらおうと考えたのだろう。家には米はあったと思うが、母親はM先生をそのまま返す訳にはいかないと考え、先生を家に泊めてあげようと押し問答をしていたらしい。 母親が戻ってきて事の成り行きを説明してくれた。M先生は客間で寝てもらうことにしたとのことで、一同安心して眠りに着いたのであった。 翌朝眼が覚めると、M先生が家で寝ていることを思い出した。同時に私は重大なことに気が付いたのである。このままでは、先生と一緒に朝食を摂ることになるかもしれない。朝食を摂ったらすぐ学校に行く時間になるから、当然先生と一緒に家を出て登校することになる。途中では先生と何を話せば良いのか。普段先生とは一対一で話をしたことなどない。物凄く気づまりである。学校まではかなりの距離があるから、その間どうしたらよいのか。もし級友に出会ったらどうしよう。先生と一緒に登校してくる生徒などどこにもいないから、当然うわさが流れて悪友たちにからかわれることになるに違いない。不安の種が後から後から頭に浮かんでくる。これは困ったことになった。 起床してみると先生はまだ客間で寝ているとのことであった。ホッとした私は先生が起きて来る前に食事を済ませてさっさと学校へ行ってしまおうと考えた。幸いにも、出かける時間になっても先生はやはり起きてはこなかった。豪傑だなぁと私は思ったものである。 私は一人で家を出て学校へ向かったが、何も慌てることはない。先生は遅刻するに決まっているから、ゆっくりと登校すればよいのだと自分に言い聞かせた。学校に着き教室で皆と一緒にいつものように先生がくるのを待つ。先生はなかなか現れない。先生が時間通りに現れないなどということは今までなかったので皆は不審な顔をしていたが、すべての事情を知っている私は知らん顔をして何も言わないことにした。母親から口止めされた訳ではない。自分の判断でここは黙っているに限ると腹を決めたのである。皆と一緒に待ち続けることにした。 先生は大分時間が経ってから教室に悠々と現れた。そして何事もなかったかのように普段通りに授業を始めたのである。私以外の生徒たちも何事もなくいつも通りの授業風景に戻っていった。この出来事を、今では誰も憶えていないと思う。しかし大きな秘密を抱えてしまった私だけは、容易には普段の状態に戻れなかったのである。 ▼便所の落書き 帰宅後、更に驚くことがあった。便所に入ると便所の壁に大きな落書きがしてあったのである。私は先生が書いたものだとすぐ分かったが、多分母親は信じないであろうとも考えた。こういうことは男の子がするものであって、年齢的にも私以外に犯人は考えられないからである。そう考えて、私は大いにうろたえることになった。 しかし落書きをよく見ると、これは私には到底描けないことが明白となった。壁には鉛筆で直径約50センチ程のかなり大きな円(それも美しい真円だった)が描かれていて、その中に目鼻口が書き加えてある。大人にしか描けないような手慣れた作品(?)だったからである。私が描いたと思われる可能性はほとんどないことが分かった。私は直ぐに母親に報せて自分の無実を確実なものとした。母親はそれを見て唖然としていたが、それ以上何も言わなかった。先生は一体何を考えてこんな落書きをしたのだろう。変な先生だ。 先生のこの落書きは、しばらくの間はそのままになっていたが、いつの頃か母親がきれいに消し去ってしまった。私は少し残念な思いが残ったが、何も言えなかった。現在のスマホ文化のもとで育っ者だったら、早速カメラで撮影し記録に残していたことだろう。 ▼酔っぱらいの豪傑先生? 大人になってから思い返してみると、先生は酔っぱらっていたのだろうと思う。大体、麻雀に夢中になって遅くなり帰宅できなくなったというのからしてウソくさい。お米を貸して欲しいと言うのは本心ではなく、泊めてもらう積りで家に来たのだろう。本当のところは、どこかで酔いつぶれてしまい終電車に乗り遅れたのではないかと思う。今では、実に豪快な先生だと思うようになっていた。 私は、先生が引き起こしたこの破天荒な出来事の詳細をこれまで誰にも話したことがない。当時の同級生に対しては申し訳ない気持ちだけは残っている。 もし同級生に話すにしても、それにふさわしい懇談の場で話すのなら可能だが、文書にして公開するような話題ではないと思ったからである。 しかしコロナ禍以後、私の考えは少しずつ変わってきた。例年開かれていた同窓会、同期会、クラス会などの行事が軒並み無期延期となってしまったのだ。今の情勢では再び開けるようになるとは思えない。私の年齢から考えて、もう昔の仲間に会って話す機会が再び訪れることはないかもしれない。そう考えて小学校の同期生のために作ったブログ(http://kinutas27.blogspot.com/)上にこの文章を掲載することにした。もはや時効であるから構わないことにしよう。 同期会の再開は、そのうち政府が“Go To 同期会”キャンペーンでも始めてくれることだろう。それを待つことにしようではないか。 ●言葉遊び ▼パンデミック「集会禁止、どうしよう」 ![]() |
2020年8月29日土曜日
故障
2020年7月8日水曜日
ラジオと私
![]() ── ラジオを聞くと頭がよくなる?▼ラジオの思い出 私は昔からラジオを聴くのが好きだった。今でも毎日聴いている。 ラジオとの最初の出会いはいつ頃だったのか正確には思い出せないが、疎開先の長野県蓼科で玉音放送を聴いたときの記憶だけは鮮明に覚えている。当時6歳だった私は、放送の内容もその意味もよく分からないまま近所の人たちと一緒に農家の庭先に整列し、直立不動の姿勢で家の中から聞こえてくるラジオを通しての天皇のお言葉に耳を傾けていた。後で「日本は戦争で負けたらしい」と教えられたのを覚えている。抜けるような青空の下でジリジリと照り付ける強い日差しと暑さだけが記憶に残っている。 小学生時代の私は、終戦後の苦しい生活の中でラジオを聴くのが最大の楽しみの一つだった。戦時中は「警戒警報」の発令を聴くために各戸には必ずラジオがあったが、終戦後もそのラジオを使い続けていた。古いので故障したり聴き取りにくかったりと厄介な代物だったが、私は耳を押し付けるようにして夢中になって聴いていた。 有名作家の作品を毎日少しずつ朗読する番組があり、私は久米正雄の作品を毎日欠かさず聴くのを楽しみにしていた。その朗読の最終回の日にたまたまラジオが故障して聞くことができなくなってしまった。そのときの口惜しさを今でも忘れない。後年、久米正雄の作品集から該当する作品を見つけようと試みたが作品のタイトルも内容もすっかり忘れてしまっていて口惜しさが倍増しただけであった。 中学生時代だったと思うが、授業で鉱石ラジオを作成する時間があった。家で菓子が入っていた四角い小さな缶を見つけてきて、その中に組み立てた鉱石ラジオを入れ蓋をする。そして缶の側面に穴を空けてチューニングする部分を外に出し缶の外から操作ができるようにした。家でテストしたときはうまく聞こえたのだが、学校に持っていって先生に提出した後では何故かまったく聞こえなくなってしまったようだ。学友から「お前の、聞こえないぞ」と言われて口惜しい思いをしたのを覚えている。外見は一見素晴らしい出来栄えに見えたのだが、聞こえないのでは意味がない。大失敗であった。 高校生時代の私は、自分専用のラジオを手に入れることに夢中になった。兄が読んでいた「ラジオ技術」という雑誌を見てポータブルラジオを自作しようと思い立った。当時、必要な部品を集めてセットにしたものが秋葉原の電気街で売られていたのである。それを買ってきて自分で(いや、兄に助けてもらいながら)組み立てた。自分専用のラジオを持つことができただけでなく、それを屋外に持って出て好きな場所で聞くことができたのが最大の喜びであった。私にとっては画期的な出来事だったのである。 当時通っていた高校の英語担当のU先生はラジオ番組に投稿するのを趣味としておられた。夜、NHKの放送でクイズ番組を聴いていると突然投稿者として先生の名前が読み上げられ仰天したのを覚えている。 しかし勉強中にラジオを聴くことはなかった。当時はまだ“ながら族”という表現は存在していなかったのである。 企業人となってからは、通勤電車の中でどうやって時間(片道約2時間)を有効に使うかということで頭を悩ませることになる。普通は本を読んだり居眠りをしていればよいのだが、読む本がないときもある。ときには気分転換も必要になる。そんなとき、そうだ(!)ラジオがあるじゃないか、と通勤の行き帰りの4時間はラジオを聴くことを思い付いた。しかし残念ながら当時の携帯用小型ラジオはノイズを拾ってしまい音声をうまく聞き取れないのである。鉄路の上を走るのだから電車の中は特に強いノイズだらけでラジオを聴くには最悪の環境だったのである。 仕方なく私は、家でカセットテープに録音したものを電車内に持ち込んで、コンパクトなテープ再生機で聞くことにした。こうすればノイズなしのクリーンな状態でラジオの音声を楽しめる。オートリバース機能を使えば1~2時間は連続して聞くことができた。このようにして私は通勤時間帯の厳しい環境を楽しい場へと変えることに成功したのである。 その後、電車内でのノイズを消して聞きやすくした小型携帯ラジオが売り出された。私もそれを利用するようになったが、それでも聴き取りにくいところは完全には解消されていなかった。カセットテープの再生音の質の良さには到底及ばないと思ったものだ。 仕事から引退した後は、家でラジオ三昧の日々を送っている。一緒に暮らす家族の者たちはほとんどラジオというものに関心がない。リビングルームの食卓周辺にはテレビはあるがラジオは置いてない。孫たちはテレビは見るけれど、それよりもYouTubeの方に夢中になっていることが多いようだ。世代によって主となるメディアは劇的に変わってきているようである。 一方、私の書斎と寝室にはラジオがそれぞれ置いてある。私は朝ベッドの中で目覚めるとラジオを2時間程聞いてから起床する習慣にしているが、朝食時にも聞きたい番組が沢山あるので小型の携帯用ラジオをポケットに忍ばせてイヤホーンを用いて聴きながら食事をしている。平日の朝は、孫たちが登校するまでの騒がしい時間帯であるから、家族の者たちも私に話しかける余裕もなく丁度良い具合である。ラジオという有用な情報ツールがあるのに若い人たちはまるでそれを知らないようである。残念なことだ。 ▼視覚情報優位の社会 そんなある日、私はラジオで興味深い話を聞くことになる。 そのときラジオでは「ラジオと脳」というテーマで話題が盛り上がっていた。聞くところによると、ラジオ業界には「ラジオを聞くと頭がよくなる」という通説があるのだそうである。誰が言いだしたのかは定かではないが、恐らく自分たちの業界の発展を期待して無責任(?)に言い始めたものであろう。しかしこの通説が世界で初めて(!)検証されたのだ。そして、耳からの情報が脳を成長させることが分かってきたのだという。 普段ラジオを全く聴かない大学生と、ある程度聴いている大学生とを対象にして1日2時間以上1か月間ラジオの放送を聴いてもらい、その前後にMRI検査をして比較してみると右脳が2倍以上活性化されていたという。脳の部分でそれまで使われていなかった(寝ていた)部位が活性化され(起きた)状態になったという。人間の脳は意外に使われていない部分があって、それが使われ始めたというのである。 右脳と言えば、ひらめきや直感といった機能を司ると思われているが、空間をイメージする役割もあり、脳がしゃべり手の言葉を想像力で補うことで右脳が活性化したのではないかというのが専門家の意見らしい。ラジオから天気予報が流れてきたら、天候と場所とを想像力で結びつけようとする。この作業が右脳を働かせているのではないかという。 聞き手の脳は、しゃべり手が次に何を言うのか無意識に予想し補完しようとする。脳がしゃべり手と一緒に雑談をしているように情報を処理しているらしい。日常よく聴いている番組では、聞き手にしゃべり手の口調がうつることがよくあるそうだ。頭の中で話し手の話し方を再現するからであろう。 今回の検証は大学生を対象にしているが、脳の成長に年齢はまったく関係がないという。いくつになっても脳を成長させることができるそうである。 ラジオ業界の人が言い始めた通説がこうして具体的な成果に結び付いてきたのは結構なことだが喜んでばかりもいられない。実は、日本人は聞く力が衰えてきているという。脳の中はいろいろな部位に分かれていて、それぞれ役割を担っている。その中に、耳から入ってきた情報を活用する部位があり、聴覚に特化した部位が理解力や記憶力を司る部位と密接な関係にあるという。 今まで世の中では、聴覚と視覚からそれぞれ情報を取り入れていたが、スマホが普及した現在では、ほとんどが視覚からの情報を扱うようになってきている。つまり目から入ってくる視覚情報優位の社会になってしまったのである。 脳というのは、視覚優位になると相対的に聴覚系の部位がうまく働かなくなるという。一方、脳の容量は増えることはないのでどちらかが増えるとどちらかが減ってしまう。その結果、視覚優位になると人の言葉を理解したり記憶する部位が阻害されてしまう。これによって様々な弊害が起きてくる。たとえば、人の話を聞いてもその内容を覚えられない。集合場所とか集合時間とかを指示されても、昔は一発で覚えられたのに、命令を声で伝えられるようになると何回繰り返しても覚えられない人が増えてきているという。こういう経験のある人は視覚優位の“スマホ脳”になっているのかもしれない。 したがって、生の人の声を聴く機会を作って聞く力を意識的に鍛える必要がある。現在はテレワークの時代でありリモート会議が盛んでリアルな会話がしにくい環境ではあるが、リアルな会話でなくても脳がしゃべり手と雑談している感覚になれるラジオ放送を聴くのが鍛えるツールとして良いのではないか。 ▼終りに 実は私は、以前から聴覚重視派だった。学生時代の試験勉強では、テキストを読んでいて重要な文章に出会うとその部分を声を出して読みながら頭に叩き込むことを無意識の内にやっていたように思う。更に言えば、最近では聴覚と視覚の両方を同時に使うと、もっと良い結果が得られると思うようになっている。 “読み上げる声を聴きながらテキストを読む”という方法である。これが一番記憶に残る勉強法であると信じている。たとえば、私のホームページ上の「私が耳にした健康情報」という欄を見ると分かると思う。ここでは、聴覚と視覚の共用を実践して読者が健康情報を理解しやすくなるよう工夫されている。 ただ一つ問題があるとすれば、音声情報のファイルは大きな容量を占めるので保存が難しいという点である。私の場合、自分のホームページの領域内に保存していたので、あるとき突然満杯になってしまい一切の登録ができなくなってしまったことがある。慌てて調べて見ると、音声ファイルが増え過ぎてテキストファイルを置く場所がなくなってしまっていた。解決策として、取りあえず音声ファイルを大量に削除しなければならなくなった。この問題を根本的に解決するまで、健康情報の欄はしばらく休止状態になっている。 無料で使えるブログを利用すれば、テキスト情報や画像情報の保存は容易であるから保存上の問題はない。しかしなぜか音声情報だけのファイルは保存が許されていない。保存方法について、どなたか良い知恵があれば教えていただけると有難いのですが。 例えばツイッターでは、投稿できる文字情報は140文字に限られているが、これからは音声情報なら140秒(2分ちょっと)以内であれば投稿できるようになると聞いている。音声情報ファイルの重要性を見直す時期にきているのではないでしょうか。 最後のまとめ部分は、最新版見てください。 ![]() |
2020年7月1日水曜日
私が使用したことのあるコンピュータの一覧に追加
( My Computer Careers List )
http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/myComputerCareer.htm
に、iiyama モニターディスプレイ27型を追加しました。
2020年6月17日水曜日
マイナンバーカード
![]() ── 初めて使ったマイナンバーカード私がマイナンバーカードを手に入れたのは3年前(2017年)のことである。自動車の運転免許を返上して以来、自分には身分証明として使えるものが無くなってしまい何かと不便をしていたのでその代わりにしようと思ったのである。身分証明には健康保険証も使えるが、自分の写真が添付されていないので身分証明としては使えない場合が多い。その点マイナンバーカードは写真付きなのでどこでも使える利点があった。以来、映画館や美術展などに入場する際にはシニア料金を指定できるようになった。 したがって、マイナンバーカードが謳っている高度な(?)利用の仕方など一度も経験したことがない。最初に新しいマイナンバーカードを受け取りに区役所へ行ったとき、あらかじめ用意されていたパソコン端末の前に座らされ、自分の暗証番号を初期設定させられたのを覚えている(*1)。その暗証番号を残念ながらこれまで一度も使うことなく今日まで来てしまった。確か、間もなく失効して使えなくなる筈である。 【注】(*1)このとき不思議に思ったのは、この暗証番号の初期設定では英字は大文字しか使えないと言われたことである。説明資料にはそんな制限は書いてなかったので反論したかったが、結局は担当者の指示にしたがうことにした。担当者の勘違いではないかと今でも思っている。これではセキュリティーのレベルが半減してしまう。そんなとき、新型コロナウイルスの感染が広がり特別定額給付金として10万円が受け取れるということになった。給付金を申請をするには、国から郵送されて来る書類に必要事項を記入して返送する方法か、あるいはマイナンバーカードを持っている人は、パソコン端末からオンライン申請する方法があるという。これだ! やっとマイナンバーカードを(本当の意味で)利用できる機会がやってきたのだ。ここで利用しないで何時利用するというのか?! そこで、私は市のホームページを調べてオンライン申請ができる日が来たら素早く申請を済ませてしまおうと考えた。国のやることは何でも時間が掛かるが、家のパソコンから申請手続きができるのならこんな便利なことはない。早く受け取りたければ自らも努力する必要があると考えたのである。 そのための準備として、以前登録した暗証番号を記録してある文書(*2)を見つけ出して確認してみた。暗証番号には次の4種類がある。 (1)署名用電子証明書(英数字6~16桁) …… 文書が改ざんされていないことを確認するために用いる (2)利用者証明用電子証明書(4桁) …… 利用者本人であることを確認するために用いる (3)住民基本台帳用(4桁) …… 住民票コードを利用するため (4)券面事項入力補助用(4桁) …… 個人番号や基本4情報を確認、利用するため 【注】(*2)暗証番号の内、(1)と(2)はカード発行後、5度目の誕生日で失効となる。(3)と(4)はその後も使用可能だが、カード発行後10度目の誕生日でカード自体が失効となる。必要なら再発行を申請しなければならない(また手数料を取られるのかもしれない)。どの暗証番号を使うことになるのかは分からないが、とにかくすべて頭に叩き込んだ。市のホームページの関係する場所を、私は自分のパソコンで使っているブラウザ上に“ピン留め”して毎日そこをチェックしては申請できる日が来るのを今か今かと待ち続けた。そして5月10日になってようやく待ちに待ったオンライン申請が可能になったのである。朝一番でそれを知ったのだが、実際に使える時間は正午からであった。 正午になって早速申請手続きのページを開くと、長々と続く説明を読まされることになった。申請に使うブラウザはこれ、またはこれを用意すること・・・、各々のバージョンはこれこれ・・・という具合である。あぁ、これは一括して外部に依頼して作らせたに違いない。パソコンに慣れている人ならいちいちソフトウェアの種類などには依存しない形で利用できるようにする筈である。全面的にパソコンに慣れていない人を対象に作っているからこういうことになる。例外的なことを説明するための部分がどんどん広がって益々深みにはまっていく。 途中で説明を読むのを諦めて書類作成場所への入口を捜すことにした。やっとのことで入口にたどり着くとコンピュータやOSの種類毎に異なる入口が用意されていた。しかしそのそれぞれに必ず「ICカードリーダライタ(*3)」が必要と書いてある。ここで愕然とすることになる。そうなんだ、国が用意するシステムで公的なサービスを受けようとすると必ずと言ってよいほど特別な仕様の部品の購入を求められる。庶民は仕方なく買わされているが、私はそれを潔し良しとしなかった。自動車運転免許証 然り、ETCカード 然り、確定申告で使うe-Tax 然りである。私はこういう部品には手を出さない主義である。これではオンライン申請は諦めるしかない。 【注】(*3)ICカードリーダライタとは、ICカードに記録された電子情報を読むための機器である。公的な個人認証サービスでは、様々な機関に電子申請・届出等を行う際にマイナンバーカードに記録された電子証明書を利用して手続きを行う仕組みになっているらしい。オンライン申請を諦めた私は、家族と一緒の昼食を摂りながら申請手続きがうまくいかなかったと報告することになった。新聞等に掲載されていた広報にはICカードリーダライタが必要だとはどこにも書いてなかった(!!)、とぼやきながら。すると義息子が「ICカードリーダライタなら持っていますよ」と言う。彼は普段から確定申告はe-Taxを利用してやっていたのを思い出した。どうやらそれと同じカードリーダで済むらしい。 早速そのICカードリーダライタなるものを借りることにして、私は何んとかオンライン申請の手続きを完了させることができたのである。 その後聞いた話では、オンラインで申請された書類の方が処理に時間が掛かることが分かったのだそうである。オンラインで情報を受け取るまでは速かったかもしれないが、その後の処理が機械化されていなかったのである。その結果、人手によるチェックに膨大な時間を費やすことになったのであろう。その後しばらくして、このオンライン申請の窓口は閉じられてしまったそうである。昔ながらの紙による申請書類の方が組織の実態との相性が良かったのであろう。 かくして、私の「初めてのマイナンバーカード利用」は無事終了したのであった。そして、初日に手早く申請した効果もあったのだろう、6月1日に給付金を受け取ることができたのである。ヤレヤレ。 ところで、2020年9月からはマイナンバーカードを利用するマイナポイント事業が計画されていて、引き続きキャッシュレス決済が推進されるらしい(いや、本当のところはマイナンバーカードの普及の方が主なのであろうが)。その動向がどうなるのか気になるが、当面はマイナンバーカードを持っていることにしようと思う。しかしカードが失効する2026年の誕生日までには、再発行してもらうかどうかを慎重に決めなければと考えている。 ![]() |
2020年5月31日日曜日
ワクチン接種と免疫
![]() ── 免疫を強化したければ3密?▼はじめに 最近 私は帯状疱疹ワクチンの接種を受けたばかりなのだが、そのとき得た知見をここでまとめておこうと思う。世の中が新型コロナウイルスで大騒ぎをしているときにそんな的外れな話題を持ち出して!! と叱られるかもしれないが、これが必ずしも新型コロナウイルスと無関係とは言えないような気がするのである。 新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大では、ワクチンがない特効薬もない(*1)という深刻な事態になっている。運良くこのパンデミックを乗り越えることができたとしても、その後にはまだまだ未経験の様々な問題が控えていると予想される。新型コロナへの今後の対応の仕方を考えるとき、何らかのヒントを引き出せるのではないかと思ったのである。 【注】(*1)現在、各国が 競ってワクチン開発に取り組んでいる。一刻も早く実用的なものが世界中で使えるようになって欲しい。こういう際だから各国が協力して開発に当たるのかと期待したがそうはならなかった。▼帯状疱疹が心配で 先ず、帯状疱疹の話から。 数年前 家の近くにある薬局で偶然に友人と出会った。「めずらしい所で会いますね」としばらく雑談をしていたら、彼は最近帯状疱疹に罹ってひどい目に会ったのだと言う。身体中に痛みが残り薬を貰いに来たのだそうである。 彼は年齢的には私よりも若いので、そのとき以来私も何か対策をしなければいけないと思うようになった。既にいろいろな病気を抱えている身だったので、その上に痛みとも戦わねばならないとしたら これはかなり厳しい情況になるに違いない。何とかしなければと思ったのである。 私は自分の仕事がソフトウェア開発業務だったので、プログラマが守るべき鉄則、即ち何事にも「先手を打って」対策することの重要性を十分に認識していたから、帯状疱疹に対しても同様に先手を打ってウイルスが活性化する前に抑え込んでしまおうと思った。しかし、残念ながら仕事以外の事だと、なかなかそう簡単には進まないものである(ナニ? 仕事でも進まなかった? 然り)。 先ず、帯状疱疹ワクチンの接種を受けるにはどうしたら良いかをウェッブ上で調べてみた。どうやら帯状疱疹のワクチン接種は何処の病院でもやってくれる訳ではなく、ワクチン接種をする特定の皮膚科医院を捜すのが一番手っ取り早い方法であることが分かった。保険適用にはならないというから結構高い料金を取られそうだ。どこにしようかと迷っている内に、結局忙しさにまぎれてそのまま数年が経過してしまった(なんだ!)。 ▼免疫力が落ちている ところが、昨年末に急に別の病気で入院することになった。幸い短期間で退院することができたが、退院してみると自分の体力が予想外に低下していることに気が付いた。この状態では免疫力も落ちているに違いない。そこで帯状疱疹のことを思い出し「これは危ないぞ」と思ったのである。 そこで急遽、1月に皮膚科医院に行って接種をして貰った。その際に効き目が出て来るのに2ヶ月程掛かるとのことであった。気の弱い私めは薄氷を踏む想いで2ヶ月間を過ごし無事3月を迎えることができたのだが、世間では新型コロナウイルスの騒ぎが身近に迫ってきている時期になっていた。世界中で死亡者が多数出ているが、日本に限っては比較的死亡する人が少ないと言われている。その原因は日本人がBCGワクチンの接種を受けているからではないか、などという説も流れていた。 それを聞いて、私はワクチンの効果と免疫の仕組みについて興味を持つようになった。自分が受けたばかりの帯状疱疹ワクチンは他の病気にも効いてくれるのだろうか。自分がこれまでに受けたワクチン接種(*2)について調べている内に、やはり帯状疱疹ワクチンを理解することが、新たに出現した新型コロナを理解する上で参考になるのではないかと思うようになったのである。 【注】(*2)私の受けたワクチン接種は、BCGワクチン、肺炎球菌ワクチン、インフルエンザワクチン、帯状疱疹ワクチンなどである。▼初感染時の症状 小学校の時代に私の兄が水疱瘡(*3)になったのを覚えているが、自分が罹ったときの記憶はない。多分、軽症で済んだためであろう。当時は水疱瘡という病気が、後に知ることになる帯状疱疹という厄介な病気と密接な関係にあることは知らなかった。当時そういう病名が存在していたのかも怪しい。 【注】(*3)水疱瘡はヘルペスウイルスの一種で感染力が非常に強い。空気感染、飛沫感染、接触感染に気を付ける必要がある(新型コロナウイルスの場合とそっくりではないか!)。幼少時に水疱瘡に初感染したときの症状は、極めて軽いものであることが多い。当時は母子手帳もない時代であったから私の記録は残されていないが、幼少期に一度罹かれば後は罹からないと聞かされていた。記憶に止めておく必要のある病気ではなかったのだろう。 発症した子供が居ると聞くと、親たちは近所の子供達を集めて一緒に遊ばせ、自然感染させようとする風習もあったくらいである(今風に言えば、3密状態に置けば良い)。最近は幼少時にワクチン接種(*4)をするのが普通である。 【注】(*4)大人を対象とした帯状疱疹ワクチンは、幼少時に接種する▼再発時の特長 幼少時に水疱瘡に罹ると免疫ができるが、直った後でもウイルスは身体の中の神経節に潜伏し続けるという。人間を宿主として生き延びたウイルスは、その後どうなっていくのか。ウイルスというのは遺伝子であるから「生き延びた」という表現が正しいのかどうか分からないが、体内の細胞の一部として取り込まれてしまうとそれを完全に駆除するのは難しい。外部から取り込まれた抗原(*5)と戦うには、自身の免疫力で対処するしか方法がない。それには初感染の際に作られた抗体(*6)が役に立つ。それに対し細菌類は特効薬さえあれば駆除できるはずである。 【注】(*5)抗原とは、病原性のウイルスや細菌、花粉、卵、小麦などの生体に免疫反応を引き起こす物質のことである。 【注】(*6)抗体とは、体内に入った抗原を体外へ排除するために作られる免疫グロブリンという蛋白質の総称である。このウイルスに対する免疫力が落ちてくると、体の中に潜んでいたウイルスが活動を再開し帯状疱疹を発症することになる。水疱瘡の自然感染で得られた免疫力は40年位は持つと言われている。しかし 【注】(*7)水痘ワクチンは1974年に日本で最初(!)に開発されたもので、水痘患者から分離されたウイルスを継代培養し弱毒化した生ワクチンである。1987年に小児への接種が開始された。▼症状はより強毒化する 同じ水痘ウイルスから発する病気なのに帯状疱疹のウイルスはかなりたちが悪い。思いもよらない病気につながることがあるから注意が必要である(*8)。 【注】(*8)私がどうしても理解できない点は、同じ水痘ウイルスから発する病気なのに何故このように症状が異なるのか、という点である。もしかしたら、ウイルスの引き起こす症状は本来同じなのに、子供と大人の身体的な特徴(若さとか持病の有無も含めて)の違いに起因するのではないかと思うのだが。しかしこの点に触れた文献は見当たらなかった。たとえば、目の近くの三叉神経(第二枝領域)に帯状疱疹が発症すると、経験的に 1年以内に脳卒中を起こす可能性があるという。普通の人の1.4から1.5倍もなり易いそうである。目の周りに帯状疱疹が出てから一年以内に血管解離(血管が裂ける)性の脳卒中を起こす人が多いという。脳の血管の周りに三叉神経が来ているからであろう。 その他、アルツハイマー病や多発性硬化症という神経疾患の病気も帯状疱疹が関係していることが分かってきている。 つまり帯状疱疹が切っ掛け(トリガー)となって、各種の厄介な病気が発症してしまうのである。したがって帯状疱疹ワクチンの接種を受けておけば、これらの病気を回避できる可能性が高まるということになる。 ▼免疫力が高まる仕組み 2014年から幼児への水痘ワクチンの定期接種が始まった。それ以後、幼児の水疱瘡患者は激減したが良いことばかりではなかった。それによって困ったことも起こるようになったのである。 それ以前はウイルスの抗原を浴びて免疫力を高める機会があった(*9)が、それ以後は感染の機会がなくなってしまった。たとえば、保育園で子供達と接する機会の多い保育士は帯状疱疹に罹ることが少ないという。これは免疫を持っている子供たちと日々接する間に抗体や抗原を浴びることによって免疫力を高めてきたからと推測されている。 【注】(*9)これをブースター効果(booster effect)と言う。体内で1度作られた免疫機能が再度抗原に接触することにより更に免疫力が高まること。その結果、大人はウイルスの抗原を浴びて免疫力をアップする機会が少なくなり帯状疱疹を発症する患者が増えてきた。帯状疱疹の予防ワクチンは、2016年から接種できるようになった。現在では、50歳以上の人は帯状疱疹の予防ワクチンを受けることが勧められている。 私が 帯状疱疹が直ったばかりの友人と薬局で接触したとき(幸いにも)免疫力が高まったのかもしれない!! そう考えて私はいろいろな文献を調べてみたがその詳細は分からなかった。 新型コロナウイルスの場合、抗体を持った人からも感染したと聞いている。もしそうなら、コロナの抗体を持っている人は近い将来 抗体を強くしたければ“3密(*10)”の状態に身を置けば直ぐにでも免疫力を高められることになるが、免疫力を高める過程がどのように進行するのかはまだよく分からないらしい。 【注】(*10)3密:密閉、密集、密接。私が接種を受けたのは今年(80歳)であったから、今から考えるとまさに危うく滑り込みセーフの状態だったことになる。このように、水痘ウイルスを完全には駆除できなかったため、人類はウイルスと共生する道を選ばざるを得なかったのである。新型コロナウイルスも同じ道を辿ることになるのかもしれない。 ▼帯状疱疹ウイルスとどう付き合うか 現在の私の最大の関心事は、コロナ禍の中で外出するときにどのように行動すべきかということである。 新型コロナウイルスの抗体を(多分)持っていない私めは、どうしたらよいかを検討するために、水痘ウイルスの場合を参考にして考えることにした。 そこで、先ず帯状疱疹ウイルスをどう扱っているかをプログラム風(*11)にまとめてみた。 【注】(*11)論理の流れを説明するには、流れ図やブロック図などが使われるが、まだまだ変更の多い段階から図を描き始めると生産性が悪くなる。最初からプログラムと論理図とを一体にして作る方が効率が良い。ドキュメントとして最終的に残すものはプログラム本体だけで良いから結果的に少なくて済む。ここでもその方法を採用することにした。これを利用して新型コロナウイルスとどう付き合うかを具体的に示して見たかったのだが、新型コロナウイルスの情報は未だほとんど得られていないのが現状である。長期戦となりそうである。 先ず、帯状疱疹ウイルスの取扱説明書(トリセツ)を以下に示す。 ![]() (プログラム風に書いてみました)
▼新型コロナウイルスの場合 種類の異なるウイルスだが、水疱・帯状疱疹ウイルスの性質を見ていると、新型コロナウイルスの性質についてもある程度の推測ができるような気がする。 しかし新型コロナウイルスにはまだまだ未知の分野が多い。日々新しい事実が分かってきてその都度対応の仕方を替えているのが現状のようである。まだまだ確定的なことは言えない時期なのであろう。 以下の点が明らかになれば、新型コロナウイルスのトリセツもプログラム風に書いてみたいと思っている。 ![]() (1)ウイルスは、人間の身体の中に長期間潜伏し続けることができるか? 水痘ウイルスは神経節の中に数十年間も潜んでいられるが、コロナウイルスの場合はどうなるのか? 人間の身体の中に潜伏して数年後に再発した時の症状の強さは? (2)潜伏ウイルスが再活性化しても症状は同じなのではないか? 。 今起こっているコロナウイルス感染症は、丁度水疱瘡(子供)と帯状疱疹(大人)が同時に起こっている現象ではないか? (3)自然感染で得られた抗体は、どの程度の期間持つのか? (4)(新しく開発される)コロナワクチンの詳細は? (5)新ワクチンの接種で人工的に作られる抗体の持ちは? 以下は、未完のままとなっています。 このブログ上での表示では Version 1.3 で凍結する予定です。したがって、将来の更新作業の結果はここでは見ることができません。関心のある方は、私めのホームページ上にある 「素歩人徒然(183)」の方を参照してください。運が良ければ更新されているでしょう。 ![]() (プログラム風に書いてみました。未完です!!)
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