── カウンターが使えなくなりましたSNSの利用者は年々増加している。2020年代の調査では全インターネット利用者の6割以上が利用しているそうである。現在では7割を超えているかもしれない。▼アクセスカウンターとは ここで話題にする“アクセスカウンター”とは、ホームページ上のページにあらかじめ設定しておいて、そのページが参照された回数を記録する機能のことである。ここでは単に“カウンター”と呼ぶことにしよう。 カウンターの例 個人でホームページを作成する時代が訪れたとき、私も自分のホームページを作成してその先頭(トップページ)にカウンターを設置したものである。インターネットの黎明期の頃ならそれで十分だったかもしれないが、やがて検索エンジンが登場すると様子が変わってきた。ホームページの利用者(お客様)は必ずしもトップページ(正面玄関)から入ってくるとは限らなくなったのである。検索して得られた情報を使って直接アクセスしてくるのが普通のスタイルとなった。窓から覗き込むようにして突然客が現れるようになったのである。 こうなるとトップページにカウンターを設置しておいてもそこを通らないのだから記録が残らない。そこで私は、個々のページの中から適当に選んで主だった場所にカウンターを設置することにした。長年ホームページを運用し続けている間(約25年)に、この種のカウンターの数が500個ほどになってしまった。 ▼カウンターを利用して‥‥ カウンター値を利用して何をするかと言うと、その値をまとめて一つの表にし日々ホームページ上の記事がどの程度読まれているかを正確に把握することができる。慣れてくるとざっと眺めただけで自分の書いた文章がどの程度“読まれたか”が分かるようになる。それだけでなく、何よりも自分の励みとなり勉強にもなるのである。以下に例を示す。 ![]() 赤(10箇所)の表記は当日参照、 青(26箇所)の表記は前日参照を示す ![]() 赤(157箇所)、青(217箇所) 【注】参照時間がほぼ同じなので一人の人が参照しているように見える。何が目的なのかは分からないが。その大切なカウンター機能が、あろうことか10月28日(木)の朝から突然使えなくなってしまった。最初は私のホームページも時代遅れとなり関心を持って読んでくれる利用者がいなくなったのだと理解し衝撃を受けてしまった。それまで訪問者が皆無(全くのゼロ!)という日は1日としてなかったからである。とうとうその日が来たかと私は覚悟を決めたのであった。 ![]() 赤(0箇所)、青(4箇所) しかしどうもおかしい。そう言えば、以前も同じようなことがあったのを思い出した。それまで使っていたカウンターが使えなくなりプロバイダーにメールで問い合わせたことがあった。その結果分かったことは、プロバイダー側が私の使っているカウンターの存在そのものを認めないという事実だった。この間、プロバイダー側の運営会社が何度か変わっているので前の会社のものは認めないことにしたらしい。電話でのやりとりでも埒があかず、結局強引に決着させられてしまった。それを思い出し少し不安になってメールで質問することにした。 その結果「レンタルWebで提供していた“CGI・SSI”機能は 2021年9月30日をもってサービスを終了しました」との返信が届いたのである。しかもその会社のホームページ上で告知していると言う。何と、2021年9月30日に既に終了していたのである。それに気づかず、私は1か月も経過した後になって初めて気が付き一人で騒いでいるという失態を演じてしまったのだ。 どうやら、9月30日で終了したが、その後も1か月間はそのままにしてあったものを10月末を迎えて最後の断を下したものと思われる。何ともはや‥‥。 ![]() 最近のカウンター表示です 【注】諦めの悪い私めは、使えなくなったカウンターを機能しないままその場所に残しておくことにした。もしかしたら再び使えるようになるかもしれないと思ったのである。新しいカウンターは、過去のカウンターの上に設定することにした。しかし今回の件は、かなり前から利用者の意見も聞かずにサービス終了を決めてしまったのだから、かなりの覚悟をもって決定したことなのであろう。いまさら議論を蒸し返しても成果は得られそうにない。私は諦めることにした。 ▼CGI機能とは CGIとは、Common Gateway Interface の略である。あらかじめ用意されたHTML言語で記述されたものだけが実行できるのではなく、アクセス制御されたCGI環境下で、CGI機能を用いることができるようになる。 これらの機能を提供するのは、プロバイダ側とホームページの管理者(つまり私)とが協力して作成する立場で、ホームページの利用者がそれを享受するという関係になる。例えば、CGIで実行できる主な機能としては以下のものがある。 ・アクセスカウンター ・訪問者名簿の作成 ・Web検索 ・パスワードによるアクセス制御 ・Webチャット ・BBS掲示板 ・注文書の作成 ・その他、各種のスクリプト言語を指定できる 私が利用していたのは「アクセスカウンター」と「パスワードによるアクセス制御」だけでなので、CGI機能のサポートを止めることで会社がどれだけ省力化できたのかは分からない。 会社のホームページ上を確認しなかったのは私のミスかもしれないが、レンタル契約をしている有料会員には直接伝えるのが礼儀ではないかと思う。Yahoo!が無料のWebサービスを止めたときは、無料会員に対しても個々にメールで伝えて、かなりの猶予期間を取ってくれたのと比べると雲泥の差があると思うのである。 ▼対策(1) カウンター機能への対策 カウンター機能だけなら無料で作れるサービスがある。しかし500個以上も一度に作るのは難しい。それなら自分で作ればよいではないか。 私は早速作ることにしたが、CGI環境が残されるのかが心配になった。プロバイダーの告知を読むと「2021年12月31日をもって、対象ディレクトリ「cgi-bin」以下のファイルを削除する」とある。これはディレクトリ自体が削除されると解釈するのが普通だろう。もしそうなら、ソフトウェアを自作しても無駄である。悩んだ末に私はホームページを別の環境に移すことにした。 思えば、ホームページ作成でこのプロバイダーを選んだのは、利用者レベルでの「パスワードによるアクセス制御」の機能が使えると知ったからである。中学生時代の同期会名簿を作ってインターネット上に安全に保存し、同期の仲間だけが自由に見ることができるようにして管理するのが目的であった。幸いにも、ホームページ作成の第一号として向かい入れて貰えたのである。使用料も安くて(当時は普通だったが今の金銭感覚では安いと言える)同じ条件で長期間利用させてもらった。大変感謝している。CGI機能がなくても利用するところはまだまだ沢山ある。今後も使い続ける積りである。 次回は、ホームページの移動で体験したことを報告したいと思う。 ▼対策(2) ホームページの移動 ・・・ 続きは次回へ ・・・ ![]() |
2021年12月7日火曜日
アクセスカウンター(その1)
2021年11月1日月曜日
名前は短めに
![]() ── 眞鍋博士の名前について考えた▼眞鍋博士の名前 今年のノーベル物理学賞は、日本人の眞鍋淑郎(まなべ・しゅくろう)博士が受賞することになった。1969年、気候モデルに関する研究で世界で初めて大気循環と海洋循環とを組み合わせた「大気海洋結合モデル」を発表した業績に対するものである。大変嬉しいニュースであった。 テレビニュースで眞鍋博士のインタビューを見ていたら、アメリカでは名前の「しゅくろう」が発音しにくいので“スキ”(suki?)と呼ばれている、という意味のことを話しておられた。 それを聞いた私は“しゅくろう”がアメリカ人にとって発音しにくいとは到底思えなかったので、おそらく他国の人の耳慣れない名前が覚え難いから単に短くしただけのことだろうと考えた。それにしても、短くしたら“suki”になったというのはどういうことだろうか、と益々納得がいかなくなってしまったのである。 そんな疑問をいだきながら数日が経過したのち、私は或る事にハタと気が付いたのである。もしかしたら‥‥、そうだ(!)調べてみよう。私は眞鍋博士の英字の名前表記を確かめることにした。インターネット上で検索するとノーベル物理学賞のページ(https://www.nobelprize.org/prizes/physics/2021/manabe/facts/)では“Syukuro Manabe”となっているではないか。 なるほど、眞鍋博士は自分の名前を“Shukuro Manabe”ではなく“Syukuro Manabe”と表記していたのだ。これでは欧米人には読めない(!)だろう。“Syu”をどう読んだら良いのか、あるいはどう発音したら良いのかと迷うことになってしまう。“y”を無視して“Su”とすれば“sukuro”,“suku”あるいは“suki”などと短くすることができるであろう。私は他人の名前の読み方について勝手に推測し、勝手に納得しようとしていた。 私は小学校の時代に、日本語の発音をローマ字表記する方法を学んだ。後年、その表記法を「ヘボン式」と呼ぶことを知った。「ヘボン式」では「しゅ」のような拗音(ようおん)は“shu”と表記することになっている。一方、「訓令式」と呼ばれる表記法もあり、この方式にしたがえば「しゅ」は“syu”と表記する。眞鍋博士は、どうやらこの方式のローマ字表記法で育った世代だったのではなかろうか。 なお、訓令式とヘボン式の主な違いは次の表のようになる。 眞鍋博士も小学校時代にヘボン式を身に付けていたら、アメリカでは“shuku !”とか“shukuro !”などと呼ばれていたに違いない。 ▼私の名前 私が眞鍋博士の名前に拘った理由は、その発音が私の名前と似ていたからである。実は私の名前は“恂”と書き“しゅん”と読む。私はこの名前で呼ばれるのが嫌いだった。後ろに“君”を付けて“しゅんくん”などと呼ばれると、何か中国人の名前のようで気に入らなかったのである。 小学校の時代には自分の名前をローマ字で表記する機会があると“syun”と書いていたこともあった。しかし中学生となり英語を勉強するようになってからは、しっかりとヘボン式表記法を身に付けて“Shun”と表記するようになっていた。 企業人になってからは、仕事の上で外国人に会う機会が出てくると会社では名刺の裏面が英語表記で印刷されたものを作ってくれる。そこでは常に“Shun Kinoshita”(*1)というつづりを使うようになった。これは今に至るまで変わることはない。 【注】(*1)最近日本では自分の名前をローマ字表記するとき <姓> , <名> の順に書くことが推奨されているらしいが、私は first name を last name の位置に書くのは不自然な気がするので実践する気にはなれないでいる。初めて海外出張でアメリカに住むようになったとき、仕事場では仲間から“Shun”という名前で呼ばれるようになった。日本人は自分の名前はこう呼んでほしいなどと厚かましく他人に注文を付けたりはしない。大抵はアメリカ人の方が勝手に呼び易いニックネームを付けてくれるので、それに任せるのが普通である。私の場合は、名前が発音し易かったからであろうか、私の名(first name)がそのまま使われていた。アメリカの何処へ行ってもそれは変わらなかった。 私の友人たちで長くアメリカに滞在している連中は、自分のアメリカ製ニックネームをミドルネームとして名刺に印刷している者もいた。私も素敵なニックネームを付けられたらそれをミドルネーム風に使いたいと思ったのだが、願いは叶わなかったようである。 アメリカ人のニックネームの付け方は、単に first name の先頭文字を採用してアメリカでよく使われるニックネームで代用することが多い。日本名が“K”で始まると“Ken”あるいは“T”で始まると“Tom”という具合である。これではびっくりするような命名は期待できないようである。私は“Shun”で良かったと思ったものだ。 ニックネームの付け方は、総じて短い名前にすると便利であるらしい。3~4音程度の方が呼び易いからである。先頭にアクセントを置き、遠くから声をかけるときは大きな声で一部長音を交えて少し長くすると呼び易くなることを学んだ。“Shu...n !”という具合である。 私は毎日のように“Shu...n”と呼び掛けられていると、やっと自分の名前にも慣れてきたような気がした。オフィスの長い廊下の先にコーヒーメーカーが置いてあるコーナーがあるのだが、その場所に居た仕事仲間のアメリカ人が遠くから私を見つけて「 ▼ポーランド人の名前 話は大きく飛ぶが、コンピュータのソフトウェア開発に詳しい人なら「逆ポーランド記法」というのをご存じかと思う。特にプログラム言語のコンパイラ開発に携わった人なら必ず知っておく必要のある記法である。 ポーランド記法(Polish Notation)というのは、数式やプログラムを記述する方法の一種で、演算子(オペレータ)を被演算子(オペランド)の前に記述することによって括弧( )を用いなくても演算の優先順位を表記できるようにした記法である。コンパイラ開発で必要となるのは演算子を後に置く「逆ポーランド記法(Reverse Polish Notation)」の方であるが、これを考案したのは、ポーランド人の論理学者 Jan Lukasiewicz である。この英字表現では本来のつづりを正確に表すことができないので1字間違っている(正確には以下を参照されたい)。発音の方も難しくて、日本語のカナ表現で書くと“ヤン・ウカシェヴィチ”がそれに近いと思われる。 本来であれば、彼の名前を冠した “ウカシェヴィチ記法(Lukasiewicz Notation)” と命名される名誉に浴したはずなのだが、そんな難しい名前では誰も読めない(!)として、生みの親がたまたまポーランド人だったことから“ポーランド記法(Polish Notation)”とされてしまったのである。 業績として名前を後世に残したければ、自分の名前が容易に読めて かつ誰でも簡単に表記できるつづりであることが望ましい。それだけでも、かなり有利となることが分かる。 しかし自分の名前というものは、大抵は自分一人では決められないものである。私は兼ねがね親から一言事前に相談があって然るべきだと思っていたのだが‥‥。 業績が名前の如何で決まるのは困るが、本当に必要とされるのは専門分野の研究に向いている若干の才能と、長い長ぁ~…ぃ努力の時間とが必要であることは言うまでもないことであろう。 ![]() |
2021年10月4日月曜日
最後のコンピュータ
![]() ── 愛用のパソコンが壊れました▼コンピュータの暴走 ・2021年8月27日 私の愛用しているパソコンに異常が生じたようである。最初の兆候は、使用中のアプリ(エディター)で画面スクロールが突然繰り返されるようになってしまったことである。キーやマウスに何かが触れているのではないかと確認してみたがどこにも異常はない。プログラムが暴走しているのだ。これはまずいと思って私はコンピュータの使用を一時止めることにした。 コンピュータの本体が異常に熱を帯びている。一晩休ませて明日の朝もう一度確認してみることにした。長く使ってきたコンピュータだったからそろそろ寿命が尽きる頃だとある程度の覚悟はできていたので、私は早くも保存しなければならないファイルは何か と考え始めていた。 ・2021年8月28日 翌朝、コンピュータ本体に電源を入れる前に私は大型の扇風機を持ってきてノートパソコンの右側部分(一番熱を発しやすい場所)に強い風が当たるようにして本体の熱を逃がす工夫をした。(つづく) |
2021年8月31日火曜日
今だから話そう カナ表記過敏症
![]() ![]() 昔 男ありけり コンピュータ業界で、 外来用語の日本語化に注目しながらも、 男 それを実践することなく過ごせり インターネットの時代、 男 用語のカタカナ表記にどっぷりと浸かりけり その後遺症か、カナ表記法に過度の関心を持つに至れり ![]() コンピュータ開発の初期の頃の話である。初期と言っても黎明期のことではなくプログラム言語の標準化が求められるようになった頃(1974年?)のことと記憶している。 新しい技術の導入に当たって海外の文献を参考にしていると、当然のことながらたくさんの見慣れない外来用語の氾濫となる。それらを日本語化するに当たり適当な日本語訳がないと、取りあえずカタカナ表記にして済ませてしまうことが多くなっていた。しかし、意味不明のカタカナ用語ばかりでは一般の利用者に理解してもらえないだろうという反省も生まれてきた。 歴史のある学問分野、たとえば数学などでは立派な日本語の用語が存在し広く使われてきている。コンピュータ用語もそれを見習ってそれ相応の日本語を作らねば、という機運になったのは当然の成り行きであった。 最初に問題になったのは“software”の日本語表記である。“ ![]() |
2021年8月1日日曜日
今だから話そう 出張中の自動車事故
![]() ── 日米の格差について![]() 昔 男ありけり 初めての海外出張中に自動車事故に遭いけり 幸運の女神を取り逃がしけり 持ち帰った資料から、 医療関係者の努力を半世紀ぶりに知り 感謝! ![]() フロントガラス越しに、コンクリートの壁がせり上がるようにこちらに迫ってきた。「ガシーン!!」 ---- 身体の芯にまで響くような激しい衝撃。自動車事故に遭ったのである。 二十六年ほど前(*1)、初めての海外出張でアメリカへ行っていたときのことである。車の事故にはくれぐれも気を付けるようにと上司に言われてきたにもかかわらず、この体たらくである。仕事の上で会社に迷惑をかけるし不名誉なことでもあるので、そのときの事情は今まで誰にも詳しくは話したことがない。しかし四半世紀も過ぎそろそろ時効になった頃でもあるので、ここらでその折の顛末を記しておこうと思う。 【注】(*1)この章の冒頭部分は『ソフトウェアの法則』(1995年発行) の中の「ソフトウェアと時差」というエッセイの中で書かれたものです。したがって“二十六年ほど前”というのは1968年のことになります。 ![]() |
2021年7月1日木曜日
今だから話そう 欄を更新しました
![]() 【今だから話そう】 昔の記録を調べていて結局は公にはしなかった出来事 の中から幾つかのテーマを選んで掲載しています。 http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/imayotei.htm ・「出向と転勤で得たもの」 ・「部下の叱り方」 を追加しました。 ![]() ![]() |
2021年6月22日火曜日
【今だから話そう】欄、更新しました!!
【今だから話そう】
昔の記録を調べていて結局は公にはしなかった出来事
の中から幾つかのテーマを選んで掲載しています。
http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/imayotei.htm
・「出向と転勤で得たもの」
・「部下の叱り方」
を追加しました。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgXYL6W13WEBaIc4dz3PuU3xPY2lDx1IOz_W_CUVS-jfZLgBVf4Ts80mXns2ppX7wVl2lxpUkRm3719nWeiidEA0Ntv3nuYbdsIj_rTtijPQk5wHReiQbvHNuKqRVZRwx6ghXbMjJXQrF8/s0/%25E2%2597%258F%25E4%25BB%258A%25E3%2581%25A0%25E3%2581%258B%25E3%2582%2589%25E8%25A9%25B1%25E3%2581%259D%25E3%2581%2586PR%25E7%2589%2588.gif)
2021年6月2日水曜日
【今だから話そう】欄の新版
終活の一環として
【今だから話そう】欄を新設しました。
昔の記録を調べていて結局は公にはしなかった出来事
の中から幾つかのテーマを選んで掲載しています。
http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/imayotei.htm
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiHXrB3cuqjhsUAm7cQwAAx-NFdSAXChQBSRysTMhgUknPBCiI6S_6d1tIbEcVRHvFvebxHGlOLmbPUVUkdNLmPr8a-BdUJ4Yzpe4C4JZV_eSvpFEtvpwU5dpTOsh_KGt_TdcS0WWoyskU/s0/imadaPR.jpg)
2021年5月1日土曜日
2021年4月15日木曜日
今だから話そう「教授室の前で」
![]() ── 教授室の扉を叩く![]() 昔 男ありけり 理学部にて 数学を学びけり ワンゲルの一員となりて 山男の端くれとなりけり 四年生のとき 林ゼミの一員となりけり ![]() 夏休みが近づく頃となった。林ゼミ恒例の夏季合宿があるという。全員が民宿で缶詰になって勉強するのだそうである。 その準備のため、テーマを選んで使用する英文のテキスト本を決める。次にコピーを作って全員に配布するという段取りになる。当時、コピーを作るというのは大変な手間と時間を要する作業だった。 ここでコピーと書いたが、正確には“複写”のことである。当時は、紙から紙へ複写する複写機の時代であった。複写には感光紙が必要となる。感光した後は直ぐ定着液に浸してそれ以上感光が進まないようにする。この方式を普通“青焼き”と称していた。 したがってゼミで用いるテキストはすべて感光紙だったのである。感光紙の色は「数十年経てば薄くなって読めなくなるぞ。今の内に上から鉛筆でなぞっておけ!」などと無責任にホラを吹く者がいた。現実には60年位経ってもしっかり読める状態で保存されている。現在のコピー機で作成した用紙などは、長期間重ねて仕舞い込んでおくと互いに貼り付いて用を成さないことがある。それに比べると感光紙の方がはるかに保存には適していたようだ。 すべて予定通りに進んで、各人が担当する部分も決まったので合宿の日程に合わせて各人が準備を開始する段階となった。私も自分が発表する部分の事前準備を始めることにした。 普段のゼミの授業では、英文のテキストをあらかじめよく読んでおく必要があるが、自分が発表する所は特に念入りに読み込んでおかなければならない。ゼミの発表の場では、先生から鋭い質問が発せられるから準備に手抜きはできないのだ。質問にうまく答えられないと授業は先に進まず、予定の時間通りには終わらないことになる。 しかし夏休みの合宿では時間はふんだんにあるから、先生の質問に的確に応えるには余程の準備をしておかないと通用しない。夜遅くまで延々と授業が続くことになるかもしれないからである。 現在の様にプレゼンテーション用の機器やソフトウェアのツールがある訳ではない。黒板にチョーク(3色ほど)を用いて文字や図を描いて説明するという古典的な方法しかない。民宿で行うゼミであっても例年やっていることなので、そのための大きな黒板が用意されていたのである。 特に数学と言う学問では、多くの数式をいじくりまわして変形して行き最終的に目的の式まで持っていく過程が重要になる。テキスト上ではその過程がすべて詳細に説明されている訳ではない。それを読み解いて説明する必要があるのだ。場合によっては、その過程の説明が問題としてて組み込まれていることもある。 黒板の上には広い空間があるから(最初だけだが)その場所をうまく使って聞く者が納得するまで説明できなければならない。書く字がいくら下手でも構わない。描く図がどんなにお粗末でも構わない。とにかく聴いている全員を(特に先生を)納得させなければならないのである。 しかし私が担当する部分をざっと読んでいる内に、テキスト上で明示されていない式が使われている部分があることに気が付いた。普通は引用したい式の最後に“(1)”とか“(6)”とか一連番号が括弧付きで添えられていてその番号から式を確認できるのだが、その式には“ equation(18), Appendix XX ”と記されているだけで対応するものがない。どうやら、これは付録(Appendix)のXXに出てくる式(18)という意味らしい。配布されたテキストには、その付録の部分は含まれていなかったのである。 ![]() さて、どうするか。こういう場合普段の私なら「まっ、いっか」と成り行きに任せてしまうのだが、今はそうは言っていられない。ここは原本を見て確認しなければいけないと考えた。テキストには大学の図書館印が押されているから原本は院生が利用できるよう図書費で購入し教授室の本棚に置かれているものである。私は教授室へ行ってその原本を見せてもらうことにした。 私はこのときまで先生の部屋へは一人で行ったことがなかったので、教授室の扉を叩くのは初めての経験であった。教授室の前に立って、私は物凄く緊張していた。 幸い先生は部屋に居られて、私をこころよく迎え入れてくれた。先生は机に向かって何か仕事をされていたので、私は詳しい事情は説明せずにただ原本を見せてくださいとだけ伝えた。 本棚の中から自分で目的の本を見つけ出し、部屋の入口の近くにある会議用の机(院生やゼミ生が使う)の前に座って確認作業を始めた。先生に話しかけられると困るので、先生の視線に入らないよう出来るだけ背を向けて作業に取り掛かった。 かなり分厚い書物だったので付録の Appendix XX を見つけるのに大分手間取ったが、ちょっと読んだだけで直ぐ理解できるような内容ではなかった。少し長いが書き写して後で精読することにした。何をしているのか先生には分からないようにして私は脇目も振らずに書き写す作業に集中した。そうすれば、先生も声を掛け難いだろうと思ったのである。小一時間程頑張ってA4の用紙で2枚半ほどのものが出来上がった。よし! これで退散しよう。首尾よく目的を達したのだが極度の緊張が続いたので私は疲れ果ててしまった。 このようにして何とか予習を済ませ、本番の夏季合宿に参加したのだが、結局この時の努力は無駄だったようである。夏合宿の発表は上手くいった積りなのだが、先生から質問されたのは別の箇所だったからである。事前準備で考えていた“傾向と対策”はうまくいかなかった。Appendix の所はどうなったか、はっきりとは覚えていない。 夏合宿での発表で記憶に残っているのは、次のような場面だけである。 私の発表の途中で二つの課題が出ている部分に来ると、先生は「その問題、やってみましょう」と言ったのである。私は内心「しめた」と思った。この問題の説明で時間を費やせば、時間配分から考えて十分自分の持ち時間を使い切ることができる。余計な質問は受けずに済むと確信したからである。しかし、そんなことはみじんも態度に表すことなく、私は一呼吸置いてから淡々と説明を始めたのであった(内容は全く覚えていないが)。事前準備で考えていた“時間配分”だけはうまくいったようであった。 この後、幾度となく教授室の扉を叩くことになるのだが、その度にいつも最初に教授室の前に立ったときの緊張感だけは鮮明に蘇ってくるのである。 ![]() |