2020年11月29日日曜日

今だから話そう「グリーンベレー」




── もはや時効となったお話(2)


はじめに (長文です)
 長年に渡ってエッセイを書き連ねてきたが、テーマによってはどうしても書くのをためらうものがある。もちろん、個人的なことで失敗した話とか勘違いで恥をかいたような話は書きたくないのは確かだが、その類いの話はいずれ時間が経てば自ら人に話せるようになる。そう思って私は、これまでの人生で苦労したことや悩んだことなどをできるだけエッセイに書くことで身軽になって生きようと努力してきた。

 一方、仕事に関することだと機密事項もあるから、会社あるいは特定の個人に迷惑が掛かる恐れもあるので、どうしてもエッセイのテーマとして取りあげるのを控えてきた。その結果、仕事に絡んで抱え込んだ悩みの持って行き場がない。どうしたらよいものか。

 これまでは、親しい友人たちとの懇談の場で思い出話としてさり気なく話してしまえば身軽になれると思っていた。しかしそういう機会は案に相異してなかなか訪れないもので、いつまでも重荷を背負い続けているのが現状である。結局は“墓場まで持って行く”ことになると最近は思うようになっていた。

 ところが、コロナ禍以後私の考えが少しずつ変わってきた。もはや時効として公開しても構わないのではないか、と。「今だから話そう」シリーズにしたら結構面白いかもしれない(*1)
【注】(*1)シリーズにする程テーマが沢山あるわけではない。しかし以前紹介した“とっておきの話「コワイ先生」”は、実はその種のテーマに属していたものなのである。そこで、後から“今だから話そう「コワイ先生」”とタイトルを変更することにした。
 ここでは、今から45年程前、メインフレームのソフトウェア開発を担当していた頃の話を紹介したいと思う。

 PL/Iというプログラム言語の処理系(コンパイラ)を開発していたときに経験した話が中心となるので業務と密接な関係がある。そのとき経験したことの多くは、実は今まで個々には紹介してきた(*2)ものである。私は、日常生活で起こる様々な出来事になぞらえて、コンピュータの技術(特にソフトウェア技術)を分かり易く紹介するという方法を編み出し「ソフトウェアと〇〇」というタイトルの一連のエッセイに仕立て上げてきた。しかしその背後にあった私の関わってきた仕事については明確には触れないできた。今回は、それに言及しなければうまく説明できない話なのである。関係者に迷惑を掛けないよう心して書くことにする。
【注】(*2)今まで紹介した技術とエッセイのタイトル一覧は、最後の▼参考資料を見てください。
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2020年10月21日水曜日

歩数計




── 時間から歩数へ乗り換えました


 最近、歩数計を購入した。これまでにも歩数計は何度か買ったことがあるが、スポーツのときだけ使っていると直ぐ壊れてしまう。それに懲りて、ここ十数年は全く使っていなかった。

 若い頃はジョギングやサイクリングが主だったのでスポーツ時に使う計測用機器は腕時計型のもので実時間とストップウオッチ機能 それに心拍数を測る機能さえあれば十分だった。しかし齢を重ねる内にウオーキングが主流になると、今度は歩数計を使うようになった。歩数計を腰の辺りに装着したり、ポケットの中に入れたりして計測する。

 これが、何故かすぐ機能しなくなる。電池切れになったと思い電池交換をするが動かない。仕方なく、これは壊れたに違いないと判断することになる。小さい電子機器だと一度壊れると自分で修理するのは難しい。それほど高価な物ではないので修理に出すこともなくそのままにしてしまう。そして、またしばらくすると別の製品を買ってきて使うようになるという繰り返しだった。

 その内に馬鹿馬鹿しくなってきて、料理のときに使うキッチンタイマーさえあれば充分だと思うようになった。キッチンタイマーをどのように使うかというと、1時間のウオーキングをしたかったらあらかじめ半分の時間30分をタイマーに設定してから歩き始める。30分経ったところで警告音が鳴るから、そこで回れ右して同じコースを帰ってくればよい。その日の運動の記録としては、30分の2倍で1時間と記録する。一般道路を歩いていれば信号のある交差点に出会うから信号待ちしていれば時間が掛かり行きと帰りでは同じ時間にはならない。坂道があるかどうかでも違ってくる。しかしその程度の雑な測定で十分だったのである。

 最近、メールやSNSを通じて友人たちが「今日は3,000歩 歩いた」などと報告してくるようになった。それを読みながら私は「60分歩いた」と時間で表現するよりも歩数で表現した方が遥かに現実的で運動量の記録として残すに相応しいと気が付いたのである。

 しかし私には3,000歩がどの位の距離でどの位の時間が掛かったかは分からない。そこで自分も歩数計の利用者になれば、人によって歩幅に多少の差があってもある程度は推測が付くはずだと考えた。そうすれば友人たちの運動量と比較することができるではないか。そう考えて、私は懲りもせずにまたまた歩数計が欲しくなってしまったのである。

 今度は腕時計型のものにしてみたいと思った。色鮮やかな表示のスマートウオッチが流行っている時代だから、私も利用してみたくなったのである。早速、ウェッブ上で捜してみた。スポーツ用の多機能ウオッチが沢山あるが、どれも機能が多すぎるようだ(*1)。私には不要なものばかりである。
【注】(*1)体温、心電図、AI診断、心拍数、血圧、血中酸素、距離、速度、消費カロリー等。
 恐らく電池の持ちも短いのだろうと心配になったが、そういう点は説明には何も書いてない。スマホの様に毎日充電する必要があるとすればかなり面倒である。あれこれと考えあぐねている内にウオッチ型の採用には結構費用が高くつくことが分かってきた。これで直ぐ壊れてしまったらどうしようもない。さぞ後悔することであろう。

 そんなある日、新聞の新製品を紹介する欄を見ていて「懐中時計型歩数計 新発売」という記事を見つけたのである。時計機能と歩数計のみ! これがいい!! シンプルな構成が気に入ってしまった。きっとエコ製品であるに違いない。

 新製品というものは、予期せぬデザインミスがあるからその改良版が出てから買うのが一番安全な賢い買い方なのだが、私も歳だからそれを待っている余裕はない。企業発表の翌日のことだから、普段私が利用している通販サイトにはまだ登録されていないようである。仕方なく製造会社のホームページを捜して、そこから注文することにした。

 こうして手に入れたのが、以下に示すものである。

  
 カバーを開いたところ    カバーを閉じたところ 

 毎日のウオーキングでは、多摩川の河川敷沿いのサイクリングロードを歩くのでコースが決まっている。したがって歩数計は毎日ほぼ同じ歩数を記録(*2)する。しかしウオーキングのときは出来るだけ歩幅を拡げ大股で歩くことが推奨されているから、私の場合は大股で調子良く歩けた日には歩数が必ず少なくなる。ほとんどの利用者は歩数が多いと喜ぶようだが、へそ曲がりの私めは歩数が少ないと喜んでいる。
【注】(*2)その日の運動の記録として私は、歩数計に表示されたほぼ同じ値の歩数を毎回飽きもせずに記録している。
 毎日の運動のときだけでなく外出時にもいつも歩数計をポケットに入れて利用している。長年、外出するときは腕時計を使っていたが、時間に追われることもなくなり腕時計のバンドが鬱陶しくなってきていたので、これからは歩数計の機能だけでなく、懐中時計として時間管理にも利用することにしよう。文字も大きいので、メガネなしでも十分に読み取れるので大変助かっている。貴方(女)も試してみませんか?

2020年9月15日火曜日

とっておきの話「コワイ先生」




── もはや時効となったお話


▼担任の先生
 小学校時代の話である。当時通っていた学校には校内一怖いと言われている教師がいた(M先生としておこう)。多くの生徒たちが「あの先生、コワイよね」と話していたのを覚えている。本当かどうか疑わしい武勇伝を話す子もいた。私が五年生になるときにたまたまその怖い(コワイ)と言われているM先生が私の担任になってしまったのである。それまでは、ずっと女性教師が担任だったので男性教師は初めてである。増々怖さがつのってきていた。

 最初の授業の日、まだ全員の席次も決まっていないので皆教室の後ろの方にたむろして立ったままでM先生がくるのを待っていた。まもなくM先生が教室に入ってくると我々の方を見て突然叫んだのである。「帽子を被っているのは誰だ!」

 それは明らかに私のことであった。当時は学生帽などなかったので私は野球帽か何かを被っていたのだと思う。教壇の前に出てくるよう命ぜられた。まずいことになったと思ったが隠れている訳にはいかないので前に出て行った。私以外にも帽子を被っていた者がいて、結局3人が叱られることになった。

 私はぶん殴られるかもしれないと覚悟していたが、意外にもやさしい声で「帽子はどこで被る物なのかな?」と聞かれたので「外です」と答えた。叱られる場合は相手の顔に視線を向けて話を聞くよう教育されていたのだが、M先生はウルフの様な鋭い眼光の持ち主だったので私は正視するのが怖くて、何となく先生の口元辺りに視線をずらしてお説教を聞いていた。その後はやさしい口調で諭されただけであったが、最初の怒りはどこへ行ってしまったのか、口元の形はどう考えても微笑んでいるようにしか見えない。今は叱ることを楽しんでいるように見える。不思議な先生だなぁと思ったものである。
 どうやら、最初にガツンとやって全員の気持ちを引き締めておこうという作戦だったようだ。私は絶好の獲物にされてしまったのである。

 以後、M先生を良く観察していてどんな場合に叱るのかが分かってくると段々と叱られないで済むようになってきた。ずっと女性教師だったので緊張感が足りなかったのだ。私はこのとき、男社会の中で生きていく上での厳しさ(?)の一端に初めて触れたのかもしれない。そして、もっと強い精神力を持つ必要があると学んだのであった(おい、本当かよ?)。

 先生は運動ができるし、絵を描いたり粘土で焼き物を造ったりするのが得意で何でも器用にこなす素晴らしい先生であることが分かってきた。以後、卒業までこのM先生のお世話になった訳である。

▼お米を貸して
 ときどき家庭訪問ということでM先生が予告もなく家にやってくることがあった。家の中に入る訳ではなく庭先に突然姿を現し縁側に座って母親と話し込んでいたりする。私はM先生の姿を見つけると素早く姿を消すようにしていたので、何を話していたのかは分からない。

 ある秋の夜のことであった。家族全員が寝てしまった深夜になって庭に面した雨戸をホトホトと叩く音がする。内に向かって呼びかけている声も聞こえてくる。母親が雨戸を少し開いて何か話している。月明かりの中で母親と何か押し問答をしているようであった。どうやら相手はM先生の声のようである。「お米を貸して欲しい」と言っている。

 後で母親から詳しく聞いたところでは、先生はどうやら麻雀に夢中になって最終電車に乗り遅れ帰宅できなくなったらしい。当時は食糧事情が悪く米が不足していたので、どこかに泊りたければ必ず米を持参する習慣になっていた。そこで、M先生は私の家で米を借りて学校の宿直室にでも泊めてもらおうと考えたのだろう。家には米はあったと思うが、母親はM先生をそのまま返す訳にはいかないと考え、先生を家に泊めてあげようと押し問答をしていたらしい。
 母親が戻ってきて事の成り行きを説明してくれた。M先生は客間で寝てもらうことにしたとのことで、一同安心して眠りに着いたのであった。

 翌朝眼が覚めると、M先生が家で寝ていることを思い出した。同時に私は重大なことに気が付いたのである。このままでは、先生と一緒に朝食を摂ることになるかもしれない。朝食を摂ったらすぐ学校に行く時間になるから、当然先生と一緒に家を出て登校することになる。途中では先生と何を話せば良いのか。普段先生とは一対一で話をしたことなどない。物凄く気づまりである。学校まではかなりの距離があるから、その間どうしたらよいのか。もし級友に出会ったらどうしよう。先生と一緒に登校してくる生徒などどこにもいないから、当然うわさが流れて悪友たちにからかわれることになるに違いない。不安の種が後から後から頭に浮かんでくる。これは困ったことになった。

 起床してみると先生はまだ客間で寝ているとのことであった。ホッとした私は先生が起きて来る前に食事を済ませてさっさと学校へ行ってしまおうと考えた。幸いにも、出かける時間になっても先生はやはり起きてはこなかった。豪傑だなぁと私は思ったものである。

 私は一人で家を出て学校へ向かったが、何も慌てることはない。先生は遅刻するに決まっているから、ゆっくりと登校すればよいのだと自分に言い聞かせた。学校に着き教室で皆と一緒にいつものように先生がくるのを待つ。先生はなかなか現れない。先生が時間通りに現れないなどということは今までなかったので皆は不審な顔をしていたが、すべての事情を知っている私は知らん顔をして何も言わないことにした。母親から口止めされた訳ではない。自分の判断でここは黙っているに限ると腹を決めたのである。皆と一緒に待ち続けることにした。

 先生は大分時間が経ってから教室に悠々と現れた。そして何事もなかったかのように普段通りに授業を始めたのである。私以外の生徒たちも何事もなくいつも通りの授業風景に戻っていった。この出来事を、今では誰も憶えていないと思う。しかし大きな秘密を抱えてしまった私だけは、容易には普段の状態に戻れなかったのである。

▼便所の落書き
 帰宅後、更に驚くことがあった。便所に入ると便所の壁に大きな落書きがしてあったのである。私は先生が書いたものだとすぐ分かったが、多分母親は信じないであろうとも考えた。こういうことは男の子がするものであって、年齢的にも私以外に犯人は考えられないからである。そう考えて、私は大いにうろたえることになった。

 しかし落書きをよく見ると、これは私には到底描けないことが明白となった。壁には鉛筆で直径約50センチ程のかなり大きな円(それも美しい真円だった)が描かれていて、その中に目鼻口が書き加えてある。大人にしか描けないような手慣れた作品(?)だったからである。私が描いたと思われる可能性はほとんどないことが分かった。私は直ぐに母親に報せて自分の無実を確実なものとした。母親はそれを見て唖然としていたが、それ以上何も言わなかった。先生は一体何を考えてこんな落書きをしたのだろう。変な先生だ。

 先生のこの落書きは、しばらくの間はそのままになっていたが、いつの頃か母親がきれいに消し去ってしまった。私は少し残念な思いが残ったが、何も言えなかった。現在のスマホ文化のもとで育っ者だったら、早速カメラで撮影し記録に残していたことだろう。

▼酔っぱらいの豪傑先生?
 大人になってから思い返してみると、先生は酔っぱらっていたのだろうと思う。大体、麻雀に夢中になって遅くなり帰宅できなくなったというのからしてウソくさい。お米を貸して欲しいと言うのは本心ではなく、泊めてもらう積りで家に来たのだろう。本当のところは、どこかで酔いつぶれてしまい終電車に乗り遅れたのではないかと思う。今では、実に豪快な先生だと思うようになっていた。

 私は、先生が引き起こしたこの破天荒な出来事の詳細をこれまで誰にも話したことがない。当時の同級生に対しては申し訳ない気持ちだけは残っている。
 もし同級生に話すにしても、それにふさわしい懇談の場で話すのなら可能だが、文書にして公開するような話題ではないと思ったからである。

 しかしコロナ禍以後、私の考えは少しずつ変わってきた。例年開かれていた同窓会、同期会、クラス会などの行事が軒並み無期延期となってしまったのだ。今の情勢では再び開けるようになるとは思えない。私の年齢から考えて、もう昔の仲間に会って話す機会が再び訪れることはないかもしれない。そう考えて小学校の同期生のために作ったブログ(http://kinutas27.blogspot.com/)上にこの文章を掲載することにした。もはや時効であるから構わないことにしよう。

 同期会の再開は、そのうち政府が“Go To 同期会”キャンペーンでも始めてくれることだろう。それを待つことにしようではないか。

●言葉遊び

▼パンデミック「集会禁止、どうしよう」

同窓会どうそうかい、どうしょぅかぃ?

同期会どうきかいどうスル気かぃ? 

クラス会くらすかいおくらすかぃ? 



2020年8月29日土曜日

故障




── 壊れたものの処分の仕方


 最近、私は自分の使っている電子機器が次々と壊れてしまうという由々しき事態に遭遇している。最初に不具合が生じたのはパソコンである。次に長年愛用してきたオーディオシステムが壊れ、最後が(これが最後であって欲しい)書斎机の上に置いて使っていた小型のテレビである。

 それぞれに応急処置をしたり あっさりと使用を諦めたり、あるいは別の製品に買い替えたりとその都度最善と思われる対応をしてきた積りでいる。しかしあるときこれらの出来事をまとめて振り返ってみて、何故こんなに自分が大切にしているものが次々と壊れ続けるのかと、自分の不運に想いを巡らすことになった。

 電気製品の故障とは直接の関係はないが、最近自分の身体を構成している“部品”の方もいくつか故障してしまい難儀していたところだったのだ。それまでは薬を飲んだりして対症療法で乗りきってきたのだが、今回は病院へ“修理”に出したところ、即入院して手術を受けねばならなかった。幸い部品の交換はせずに手術という名の修理をして貰えたが、ここで悟ったのはいつまでも平穏な日々が続く訳ではない。何時かは寿命が尽きるときが来るという事実である。そんなことは先刻承知している積りだったが、本当のところは良く理解していなかったのかもしれない。すべてのモノには寿命があることをしっかりと自覚し、悔いを残さないように行動しなければならない年齢になってしまったのである。

 長い人生の中で自分が選択した対処法の数々は、果たしてそれで良かったのだろうか。これからは、病気になったときの身の処し方も含めてよくよく考えてから行動するようにしよう。
 モノの場合でも、今までは使えなくなったら取りあえず何処かに仕舞い込んでおき、何時かまた利用するときが来るかもしれないと安易に構えているところがあった(*1)
【注】(*1)昔は機器が壊れたらそっくりそのまま残しておいて、他の機器の修理の際に必要となる部品の宝庫として活用されてきた。特定のサイズのネジが必要になったときは捜せばすぐ見つかったものである。しかし最近の電子機器の修理ではそういう訳にはいかなくなっている。
 使用しないのなら単に放置しておくのではなく廃棄するなり、他に利用法がないか良く検討するようにしたいものだ。最近では不要になったモノでもオークションの場で売られている時代である。モノの処分の仕方も多様になってきているから身の処し方も十分に考慮する必要がありそうである。

 今回の電気製品の故障に対し、私がどう対処したかをここで振り返って見よう。

▼パソコンの場合
 故障したのは6年前に購入したノートパソコンである。数年前からキー入力時にトラブルが多発するようになった。「」,「」,「」,「」などのキーを叩いてもうまく入力されないことが屡々起こる。これらのキーはキーボードの右上周辺にあるから、私のキーの打ち方に癖があるのであろう。キー内部の接触が悪いのか文字入力が度々空振りとなる。


Dynabook T554/76LG

 昔のコンピュータのキータッチはもっと微妙な感触が得られたものだが、最近のキーボードはメンブレンキーボードと呼ばれるもので、キーボードの面を薄くすることだけに注力しているからキータッチへの配慮がまるでないようだ。そのためか、少し乱暴にキーを叩き過ぎたのかもしれない。

 最初に修理に出すことを考えた。修理に出すと戻ってくるまではしばらく使えなくなるから代替マシンが必要になる。私は、コンピュータ本体が壊れたときに備えて大切なファイル類を失うことの無いようにバックアップマシンを用意しているが、手持ちのマシンは旧OSのものばかりだったので最近バックアップ専用に最新OSを搭載した機種を購入したばかりである。処理速度の遅いマシンなので常時使うのには向いていない。しかし非常事態であるからこれを一時的に代替マシンとして用いることにした。

 しかし、どうしても修理に出す気が起こらない。最近の電子機器の修理は、特にパソコンの場合は、本体を薄くしてコンパクトに仕上げるので、故障個所を見つけても修理するのは容易ではない。あやしい部分の基盤全体をそっくり取り替えてテストし、うまくいけばそれで修理完了としてしまうことが多い。当然修理費用は高くなる。新しいマシンに買い替えた方が安く済むことさえある。

 実は、新しいマシンに買い替えたいという気持ちもあったので、機種選びで迷っていたのである。この間、メールの文章を入力している際に「たいへん」と入力したかったのに空振りで「たいへん」が「たいん」になってしまい、あろうことか“多淫”と変換されてしまうことが頻発した。これでは困る!! 何とかしなければ。

 そこで、キーボードだけ買えばいいじゃないかと思い付いた。早速、ブルートゥース(Bluetooth)(*2)のキーボードを購入することにした。これが思いのほか使い易く、一つのキーボードでパソコン、スマートフォン、タブレットなどに入力できるようになったので大変便利である。当分このやり方でゆくことにした。
【注】(*2)Bluetoothとは、近距離無線通信の規格のひとつでパソコンやスマートフォン等の情報機器やオーディオ機器をお互いに無線で接続し、機器間でデータをやり取りできるようにする。

ELECOM製 Bluetooth 薄型キーボード
(パンタグラフ方式)

▼オーディオシステムの場合
 20年くらい使い続けているケンウッド社製のミニコンポである。以前はリビングルームに置いてオーディオシステムとして使われてきた。しかし今は半分引退して私の寝室に置いてある。主に朝ベッドの中で聞くラジオとして使われてきた。


ケンウッド社製のミニコンポ
SH-3MD Avino

 年を取ると早朝あるいは深夜に目覚めてしまうことが多いから退屈しのぎに音楽とか深夜放送とかを聴くのに用いている。長く使ってきたので本体のコンソールのライトが不調で時々消えてしまうのだ。その内にライトが消えている時間の方が長くなり、偶にご機嫌が良いとライトが付くという状態になってしまった。ライトが付かないとシステムが現在どういう状態なのかがまるで分からない。こうなるとリモコンが頼りで、リモコンがないと何もできなくなる。

 更に悪いことに、夜中にリモコンを使っていて暗がりで屡々取り落としたりしていたためか、突然リモコンが使えなくなってしまった。電池交換しても動作しない。とうとうリモコンも壊れてしまった。


ミニコンポ用のリモコン

 本体のスイッチ類を直接操作することは滅多になかったので操作法に不慣れである。もはや昼間でも手探りで使っているようなものだ。この期に及んでようやく私もミニコンポの寿命が尽きたことを理解したのであった。

 毎朝のラジオが聴けなくなるのは困るからとにかくラジオを買うことにした。CD付ラジオを買ったのだが、オーディオシステムの音声と比べると当然ながら音がよくない。とりあえずこれで我慢することにしよう。


(新しいラジオ)
東芝ハイレゾ対応SD/USB/CDラジオ
TY-AH1 Aurex [ワイドFM]

▼テレビの場合
 ポータブルのDVD内蔵地上波テレビである。約10年使ったが寿命が尽きるのは少し早い気がする。書斎のデスクの上に置いてパソコンを使いながら見るというスタイルで使ってきた。それが、突然画面の色が白っぽく変化して消えてしまうようになった。電源スイッチを入れた当座は良いのだが時間の経過とともに次第に画面の色が白くなり見えなくなる。色調の変化はテレビ本体の問題であろうと考えて諦めることにした。


東芝 SD-P12DTK DVDプレーヤー内蔵
地上波デジタルテレビ

 しかし内蔵DVDの方は正常に動作するので、まだまだ利用価値があるかどうか検討することにした。代わりのテレビを早速発注し、19型の地上波と衛星放送が見られる機種を選んだ。

▼後始末
 こうして、ここ数ヶ月間で起こった身の回りの電子機器のトラブルはすべて解決したが、それぞれ不要になって残されたモノをどう処分するかの問題が残された。できるだけ無駄にならないようにその後の行き先を考えないと何時までも不要な物が私の手元に残ってしまうからである。

・パソコンの修理は“部品の追加”で
 キーボードの代替品を買ってBluetooth接続で使っているから何も不用品は出ていない。ノートパソコンの画面が小さいのは、老眼の私には不向きだったので大型スクリーン(ProLite XUB2792HSU HDMI iiyama)を追加して2つの画面を使えるようにしたので大変使い易くなった。当分新機種に買い替える必要もなさそうである。


大型ディスプレイと追加のキーボード

・オーディオシステムの修理は“機能分割”で
 ラジオ機能のみ新しいラジオに置き換えた。オーディオシステムはどうするか。当分使わないので、分解してクリーンアップしてみたいのだが、分解する方法が分からないので現在研究中である。

 インターネットで調べていたら同じミニコンポが多数オークションに出されているのを見つけた。うまく動作しないものも売りに出されているのを知った。リモコンが単独で売りに出されているのを発見したのも驚きであった。これを買う手もあるが、一体売主はどういう状況でリモコンだけを売りに出したのか知りたいところである。本体が手元にないとすれば、このリモコンがうまく動作する保証もない。迂闊には手を出せないと思った。

・テレビの修理は“置換”で
 古いテレビは廃棄する積りだったが、内蔵DVDは使えそうである。DVDの再生だけなら使えそうで迷っていた。その後、義息子が修理して使ってくれることになった。何んと(!)、部品の一部が曲がっているのを直したら映るようになったと言うではないか。これで廃棄する必要はなくなった訳である。目出度し! 。

2020年7月8日水曜日

ラジオと私




── ラジオを聞くと頭がよくなる?


▼ラジオの思い出
 私は昔からラジオを聴くのが好きだった。今でも毎日聴いている。
 ラジオとの最初の出会いはいつ頃だったのか正確には思い出せないが、疎開先の長野県蓼科で玉音放送を聴いたときの記憶だけは鮮明に覚えている。当時6歳だった私は、放送の内容もその意味もよく分からないまま近所の人たちと一緒に農家の庭先に整列し、直立不動の姿勢で家の中から聞こえてくるラジオを通しての天皇のお言葉に耳を傾けていた。後で「日本は戦争で負けたらしい」と教えられたのを覚えている。抜けるような青空の下でジリジリと照り付ける強い日差しと暑さだけが記憶に残っている。

 小学生時代の私は、終戦後の苦しい生活の中でラジオを聴くのが最大の楽しみの一つだった。戦時中は「警戒警報」の発令を聴くために各戸には必ずラジオがあったが、終戦後もそのラジオを使い続けていた。古いので故障したり聴き取りにくかったりと厄介な代物だったが、私は耳を押し付けるようにして夢中になって聴いていた。

 有名作家の作品を毎日少しずつ朗読する番組があり、私は久米正雄の作品を毎日欠かさず聴くのを楽しみにしていた。その朗読の最終回の日にたまたまラジオが故障して聞くことができなくなってしまった。そのときの口惜しさを今でも忘れない。後年、久米正雄の作品集から該当する作品を見つけようと試みたが作品のタイトルも内容もすっかり忘れてしまっていて口惜しさが倍増しただけであった。

 中学生時代だったと思うが、授業で鉱石ラジオを作成する時間があった。家で菓子が入っていた四角い小さな缶を見つけてきて、その中に組み立てた鉱石ラジオを入れ蓋をする。そして缶の側面に穴を空けてチューニングする部分を外に出し缶の外から操作ができるようにした。家でテストしたときはうまく聞こえたのだが、学校に持っていって先生に提出した後では何故かまったく聞こえなくなってしまったようだ。学友から「お前の、聞こえないぞ」と言われて口惜しい思いをしたのを覚えている。外見は一見素晴らしい出来栄えに見えたのだが、聞こえないのでは意味がない。大失敗であった。

 高校生時代の私は、自分専用のラジオを手に入れることに夢中になった。兄が読んでいた「ラジオ技術」という雑誌を見てポータブルラジオを自作しようと思い立った。当時、必要な部品を集めてセットにしたものが秋葉原の電気街で売られていたのである。それを買ってきて自分で(いや、兄に助けてもらいながら)組み立てた。自分専用のラジオを持つことができただけでなく、それを屋外に持って出て好きな場所で聞くことができたのが最大の喜びであった。私にとっては画期的な出来事だったのである。

 当時通っていた高校の英語担当のU先生はラジオ番組に投稿するのを趣味としておられた。夜、NHKの放送でクイズ番組を聴いていると突然投稿者として先生の名前が読み上げられ仰天したのを覚えている。
 しかし勉強中にラジオを聴くことはなかった。当時はまだ“ながら族”という表現は存在していなかったのである。

 企業人となってからは、通勤電車の中でどうやって時間(片道約2時間)を有効に使うかということで頭を悩ませることになる。普通は本を読んだり居眠りをしていればよいのだが、読む本がないときもある。ときには気分転換も必要になる。そんなとき、そうだ(!)ラジオがあるじゃないか、と通勤の行き帰りの4時間はラジオを聴くことを思い付いた。しかし残念ながら当時の携帯用小型ラジオはノイズを拾ってしまい音声をうまく聞き取れないのである。鉄路の上を走るのだから電車の中は特に強いノイズだらけでラジオを聴くには最悪の環境だったのである。

 仕方なく私は、家でカセットテープに録音したものを電車内に持ち込んで、コンパクトなテープ再生機で聞くことにした。こうすればノイズなしのクリーンな状態でラジオの音声を楽しめる。オートリバース機能を使えば1~2時間は連続して聞くことができた。このようにして私は通勤時間帯の厳しい環境を楽しい場へと変えることに成功したのである。

 その後、電車内でのノイズを消して聞きやすくした小型携帯ラジオが売り出された。私もそれを利用するようになったが、それでも聴き取りにくいところは完全には解消されていなかった。カセットテープの再生音の質の良さには到底及ばないと思ったものだ。

 仕事から引退した後は、家でラジオ三昧の日々を送っている。一緒に暮らす家族の者たちはほとんどラジオというものに関心がない。リビングルームの食卓周辺にはテレビはあるがラジオは置いてない。孫たちはテレビは見るけれど、それよりもYouTubeの方に夢中になっていることが多いようだ。世代によって主となるメディアは劇的に変わってきているようである。

 一方、私の書斎と寝室にはラジオがそれぞれ置いてある。私は朝ベッドの中で目覚めるとラジオを2時間程聞いてから起床する習慣にしているが、朝食時にも聞きたい番組が沢山あるので小型の携帯用ラジオをポケットに忍ばせてイヤホーンを用いて聴きながら食事をしている。平日の朝は、孫たちが登校するまでの騒がしい時間帯であるから、家族の者たちも私に話しかける余裕もなく丁度良い具合である。ラジオという有用な情報ツールがあるのに若い人たちはまるでそれを知らないようである。残念なことだ。

▼視覚情報優位の社会
 そんなある日、私はラジオで興味深い話を聞くことになる。
 そのときラジオでは「ラジオと脳」というテーマで話題が盛り上がっていた。聞くところによると、ラジオ業界には「ラジオを聞くと頭がよくなる」という通説があるのだそうである。誰が言いだしたのかは定かではないが、恐らく自分たちの業界の発展を期待して無責任(?)に言い始めたものであろう。しかしこの通説が世界で初めて(!)検証されたのだ。そして、耳からの情報が脳を成長させることが分かってきたのだという。

 普段ラジオを全く聴かない大学生と、ある程度聴いている大学生とを対象にして1日2時間以上1か月間ラジオの放送を聴いてもらい、その前後にMRI検査をして比較してみると右脳が2倍以上活性化されていたという。脳の部分でそれまで使われていなかった(寝ていた)部位が活性化され(起きた)状態になったという。人間の脳は意外に使われていない部分があって、それが使われ始めたというのである。

 右脳と言えば、ひらめきや直感といった機能を司ると思われているが、空間をイメージする役割もあり、脳がしゃべり手の言葉を想像力で補うことで右脳が活性化したのではないかというのが専門家の意見らしい。ラジオから天気予報が流れてきたら、天候と場所とを想像力で結びつけようとする。この作業が右脳を働かせているのではないかという。

 聞き手の脳は、しゃべり手が次に何を言うのか無意識に予想し補完しようとする。脳がしゃべり手と一緒に雑談をしているように情報を処理しているらしい。日常よく聴いている番組では、聞き手にしゃべり手の口調がうつることがよくあるそうだ。頭の中で話し手の話し方を再現するからであろう。

 今回の検証は大学生を対象にしているが、脳の成長に年齢はまったく関係がないという。いくつになっても脳を成長させることができるそうである。

 ラジオ業界の人が言い始めた通説がこうして具体的な成果に結び付いてきたのは結構なことだが喜んでばかりもいられない。実は、日本人は聞く力が衰えてきているという。脳の中はいろいろな部位に分かれていて、それぞれ役割を担っている。その中に、耳から入ってきた情報を活用する部位があり、聴覚に特化した部位が理解力や記憶力を司る部位と密接な関係にあるという。

 今まで世の中では、聴覚視覚からそれぞれ情報を取り入れていたが、スマホが普及した現在では、ほとんどが視覚からの情報を扱うようになってきている。つまり目から入ってくる視覚情報優位の社会になってしまったのである。

 脳というのは、視覚優位になると相対的に聴覚系の部位がうまく働かなくなるという。一方、脳の容量は増えることはないのでどちらかが増えるとどちらかが減ってしまう。その結果、視覚優位になると人の言葉を理解したり記憶する部位が阻害されてしまう。これによって様々な弊害が起きてくる。たとえば、人の話を聞いてもその内容を覚えられない。集合場所とか集合時間とかを指示されても、昔は一発で覚えられたのに、命令を声で伝えられるようになると何回繰り返しても覚えられない人が増えてきているという。こういう経験のある人は視覚優位の“スマホ脳”になっているのかもしれない。

 したがって、生の人の声を聴く機会を作って聞く力を意識的に鍛える必要がある。現在はテレワークの時代でありリモート会議が盛んでリアルな会話がしにくい環境ではあるが、リアルな会話でなくても脳がしゃべり手と雑談している感覚になれるラジオ放送を聴くのが鍛えるツールとして良いのではないか。

▼終りに
 実は私は、以前から聴覚重視派だった。学生時代の試験勉強では、テキストを読んでいて重要な文章に出会うとその部分を声を出して読みながら頭に叩き込むことを無意識の内にやっていたように思う。更に言えば、最近では聴覚視覚の両方を同時に使うと、もっと良い結果が得られると思うようになっている。

 “読み上げる声を聴きながらテキストを読む”という方法である。これが一番記憶に残る勉強法であると信じている。たとえば、私のホームページ上の「私が耳にした健康情報」という欄を見ると分かると思う。ここでは、聴覚視覚の共用を実践して読者が健康情報を理解しやすくなるよう工夫されている。

 ただ一つ問題があるとすれば、音声情報のファイルは大きな容量を占めるので保存が難しいという点である。私の場合、自分のホームページの領域内に保存していたので、あるとき突然満杯になってしまい一切の登録ができなくなってしまったことがある。慌てて調べて見ると、音声ファイルが増え過ぎてテキストファイルを置く場所がなくなってしまっていた。解決策として、取りあえず音声ファイルを大量に削除しなければならなくなった。この問題を根本的に解決するまで、健康情報の欄はしばらく休止状態になっている。

 無料で使えるブログを利用すれば、テキスト情報や画像情報の保存は容易であるから保存上の問題はない。しかしなぜか音声情報だけのファイルは保存が許されていない。保存方法について、どなたか良い知恵があれば教えていただけると有難いのですが。

 例えばツイッターでは、投稿できる文字情報は140文字に限られているが、これからは音声情報なら140秒(2分ちょっと)以内であれば投稿できるようになると聞いている。音声情報ファイルの重要性を見直す時期にきているのではないでしょうか。

 最後のまとめ部分は、最新版見てください

2020年7月1日水曜日

私が使用したことのあるコンピュータの一覧に追加

《私が使用したことのあるコンピュータの一覧》
 ( My Computer Careers List )
http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/myComputerCareer.htm

に、iiyama モニターディスプレイ27型を追加しました。

2020年6月17日水曜日

マイナンバーカード




── 初めて使ったマイナンバーカード


 私がマイナンバーカードを手に入れたのは3年前(2017年)のことである。自動車の運転免許を返上して以来、自分には身分証明として使えるものが無くなってしまい何かと不便をしていたのでその代わりにしようと思ったのである。身分証明には健康保険証も使えるが、自分の写真が添付されていないので身分証明としては使えない場合が多い。その点マイナンバーカードは写真付きなのでどこでも使える利点があった。以来、映画館や美術展などに入場する際にはシニア料金を指定できるようになった。

 したがって、マイナンバーカードが謳っている高度な(?)利用の仕方など一度も経験したことがない。最初に新しいマイナンバーカードを受け取りに区役所へ行ったとき、あらかじめ用意されていたパソコン端末の前に座らされ、自分の暗証番号を初期設定させられたのを覚えている(*1)。その暗証番号を残念ながらこれまで一度も使うことなく今日まで来てしまった。確か、間もなく失効して使えなくなる筈である。
【注】(*1)このとき不思議に思ったのは、この暗証番号の初期設定では英字は大文字しか使えないと言われたことである。説明資料にはそんな制限は書いてなかったので反論したかったが、結局は担当者の指示にしたがうことにした。担当者の勘違いではないかと今でも思っている。これではセキュリティーのレベルが半減してしまう。
 そんなとき、新型コロナウイルスの感染が広がり特別定額給付金として10万円が受け取れるということになった。給付金を申請をするには、国から郵送されて来る書類に必要事項を記入して返送する方法か、あるいはマイナンバーカードを持っている人は、パソコン端末からオンライン申請する方法があるという。これだ! やっとマイナンバーカードを(本当の意味で)利用できる機会がやってきたのだ。ここで利用しないで何時利用するというのか?!

 そこで、私は市のホームページを調べてオンライン申請ができる日が来たら素早く申請を済ませてしまおうと考えた。国のやることは何でも時間が掛かるが、家のパソコンから申請手続きができるのならこんな便利なことはない。早く受け取りたければ自らも努力する必要があると考えたのである。

 そのための準備として、以前登録した暗証番号を記録してある文書(*2)を見つけ出して確認してみた。暗証番号には次の4種類がある。


(1)署名用電子証明書(英数字6~16桁)
     …… 文書が改ざんされていないことを確認するために用いる
(2)利用者証明用電子証明書(4桁)
     …… 利用者本人であることを確認するために用いる
(3)住民基本台帳用(4桁)   …… 住民票コードを利用するため
(4)券面事項入力補助用(4桁) …… 個人番号や基本4情報を確認、利用するため
【注】(*2)暗証番号の内、(1)と(2)はカード発行後、5度目の誕生日で失効となる。(3)と(4)はその後も使用可能だが、カード発行後10度目の誕生日でカード自体が失効となる。必要なら再発行を申請しなければならない(また手数料を取られるのかもしれない)。
 どの暗証番号を使うことになるのかは分からないが、とにかくすべて頭に叩き込んだ。市のホームページの関係する場所を、私は自分のパソコンで使っているブラウザ上に“ピン留め”して毎日そこをチェックしては申請できる日が来るのを今か今かと待ち続けた。そして5月10日になってようやく待ちに待ったオンライン申請が可能になったのである。朝一番でそれを知ったのだが、実際に使える時間は正午からであった。

 正午になって早速申請手続きのページを開くと、長々と続く説明を読まされることになった。申請に使うブラウザはこれ、またはこれを用意すること・・・、各々のバージョンはこれこれ・・・という具合である。あぁ、これは一括して外部に依頼して作らせたに違いない。パソコンに慣れている人ならいちいちソフトウェアの種類などには依存しない形で利用できるようにする筈である。全面的にパソコンに慣れていない人を対象に作っているからこういうことになる。例外的なことを説明するための部分がどんどん広がって益々深みにはまっていく。

 途中で説明を読むのを諦めて書類作成場所への入口を捜すことにした。やっとのことで入口にたどり着くとコンピュータやOSの種類毎に異なる入口が用意されていた。しかしそのそれぞれに必ず「ICカードリーダライタ(*3)」が必要と書いてある。ここで愕然とすることになる。そうなんだ、国が用意するシステムで公的なサービスを受けようとすると必ずと言ってよいほど特別な仕様の部品の購入を求められる。庶民は仕方なく買わされているが、私はそれを潔し良しとしなかった。自動車運転免許証 然り、ETCカード 然り、確定申告で使うe-Tax 然りである。私はこういう部品には手を出さない主義である。これではオンライン申請は諦めるしかない。
【注】(*3)ICカードリーダライタとは、ICカードに記録された電子情報を読むための機器である。公的な個人認証サービスでは、様々な機関に電子申請・届出等を行う際にマイナンバーカードに記録された電子証明書を利用して手続きを行う仕組みになっているらしい。
 オンライン申請を諦めた私は、家族と一緒の昼食を摂りながら申請手続きがうまくいかなかったと報告することになった。新聞等に掲載されていた広報にはICカードリーダライタが必要だとはどこにも書いてなかった(!!)、とぼやきながら。すると義息子が「ICカードリーダライタなら持っていますよ」と言う。彼は普段から確定申告はe-Taxを利用してやっていたのを思い出した。どうやらそれと同じカードリーダで済むらしい。
 早速そのICカードリーダライタなるものを借りることにして、私は何んとかオンライン申請の手続きを完了させることができたのである。

 その後聞いた話では、オンラインで申請された書類の方が処理に時間が掛かることが分かったのだそうである。オンラインで情報を受け取るまでは速かったかもしれないが、その後の処理が機械化されていなかったのである。その結果、人手によるチェックに膨大な時間を費やすことになったのであろう。その後しばらくして、このオンライン申請の窓口は閉じられてしまったそうである。昔ながらの紙による申請書類の方が組織の実態との相性が良かったのであろう。

 かくして、私の「初めてのマイナンバーカード利用」は無事終了したのであった。そして、初日に手早く申請した効果もあったのだろう、6月1日に給付金を受け取ることができたのである。ヤレヤレ。

 ところで、2020年9月からはマイナンバーカードを利用するマイナポイント事業が計画されていて、引き続きキャッシュレス決済が推進されるらしい(いや、本当のところはマイナンバーカードの普及の方が主なのであろうが)。その動向がどうなるのか気になるが、当面はマイナンバーカードを持っていることにしようと思う。しかしカードが失効する2026年の誕生日までには、再発行してもらうかどうかを慎重に決めなければと考えている。