オリンピックやパラリンピックでのメダル授与式で、メダルをかじるパフォーマンスが話題になっている。私は以前から何故選手が“メダルをかじる”のか理解に苦しんでいたが、その関係の新聞記事を読んでやっと合点がいったのである。どうやらメディア関係者が選手にそういう行為をするよう要求するのが原因であるらしい。しかしメダルをかじる行為が何を意味するのかに言及したものはなかった。
昔流行った西部劇映画の熱烈なファンなら誰でも知っていることだが、昔は金貨を手に入れたらそれが本物の金であることを確かめる必要があった。その確認のために“咬んで”みるのである。歯型が付く程度に柔らかければ本物の可能性が高いが、固くて歯型が付かなければ間違いなく偽物なのだ。決して“かじって”いる訳ではない。
そういう習慣があったことを知っていれば、表彰式でメダルを噛む(かじるのではない!)という行為は、それが本物であることを疑っていることになるから甚だ礼を失した行為であるといえよう。ましてや、金ではない(銀メダルや銅メダルの)受賞者にメダルを噛む行為を要求するのはあり得ないことである。
私は、メディア関係者に以下2点の間違いを指摘したい。
・金メダルは“咬む”のは構わないが“かじる”ものではない。
・金メダル以外のメダル獲得者にメダルを咬むことを要求するべきではない。
2014年3月19日水曜日
2014年2月8日土曜日
リケジョ
“リケジョ”という言葉が流行っている。小保方晴子さんのSTAP細胞に関する研究成果の劇的な報道があった後は、尚更話題になる機会が増えたように思う。
リケジョとは、理科系の科目を学んでいる(あるいは、学んだことのある)女性を指しているが、そういう経歴を持つ職業人(主に、技術者、研究者等)に対しても使われているようである。確かに、理科系の科目を専攻する女性は、比率的には理科系男子より数が少ないかもしれない。しかし専攻する科目によっては女性の方が多い科目も存在する。
世間では、将来の進むべき方向を「理系か」「文系か」という二者択一で選ぶ傾向があり、女性は文系のコースに進むのが普通だと考える ある種の偏見のようなものがあるのだろう。それなら、文系に進む男子の数は少ないかというと、必ずしもそうとも言えない。その証拠とはならないけれど、文系男子を“ブンダン”とか“ブンメン”とか呼んで特別視する造語は(私の知る限り、今のところ)存在しないじゃないですか。
“リケジョ”という表現は、理系の女性を一括して表現できる便利な言葉だと私も思う。しかし、このようなカナ表現の4文字造語はどうもいただけない。初めて聞いたとき、直ぐその意味を理解できないからである。それに対し“就活”,“婚活”,“終活”などの造語は、使い慣れている生活という言葉から容易に意味を想像することができる。カナ文字だけの表現ではそうはいかない。日本人は漢字という表意文字を持っているのだから、もう少し表現方法を工夫したらどうかと思うのである。
以前、書道をやっている母親から“妍”という字を教えてもらったことがある。女偏の付く字にはあまり良い意味がない。“嫌”,“妾”,“姦”,“婬”,・・・
“嫁”という字にしたところで、“女”は常に“家”に居るものだという封建的な考え方から発する字なのである。しかし“妍”という字は「けん」と読み「女をみがく(磨く、研く)」という良い意味があるというのである。つまり、
(女 + 研) ⇒
⇒ 
ということである。
これを真似て、女偏の付く新しい漢字の造語を作ったらどうか。たとえばリケジョは、(女+理)系、つまり“
系”あるいは (女+里)(*)系、つまり“
系”と書いて表現するのである。
たとえば、小説の中などで、
「ワタシ、
系なんですぅ~」
というように用いる。
「ワタシ、リケジョなんですぅ~」
などと表現する女性がどこにいるというのか?
今や我々は、日本語ワープロを用いて文章を書ける環境にいるのだから、ちょっとしたアドインソフトを用意すれば、誰でも簡単にこういった漢字の造語を作れる時代になったのではないかと思う。
(男 + 理) ⇒
(女 + 理) ⇒
⇒ 
(女 + 研) ⇒
⇒ 
貴方(女)いや、…貴
も挑戦してみては如何?■
リケジョとは、理科系の科目を学んでいる(あるいは、学んだことのある)女性を指しているが、そういう経歴を持つ職業人(主に、技術者、研究者等)に対しても使われているようである。確かに、理科系の科目を専攻する女性は、比率的には理科系男子より数が少ないかもしれない。しかし専攻する科目によっては女性の方が多い科目も存在する。
世間では、将来の進むべき方向を「理系か」「文系か」という二者択一で選ぶ傾向があり、女性は文系のコースに進むのが普通だと考える ある種の偏見のようなものがあるのだろう。それなら、文系に進む男子の数は少ないかというと、必ずしもそうとも言えない。その証拠とはならないけれど、文系男子を“ブンダン”とか“ブンメン”とか呼んで特別視する造語は(私の知る限り、今のところ)存在しないじゃないですか。
“リケジョ”という表現は、理系の女性を一括して表現できる便利な言葉だと私も思う。しかし、このようなカナ表現の4文字造語はどうもいただけない。初めて聞いたとき、直ぐその意味を理解できないからである。それに対し“就活”,“婚活”,“終活”などの造語は、使い慣れている生活という言葉から容易に意味を想像することができる。カナ文字だけの表現ではそうはいかない。日本人は漢字という表意文字を持っているのだから、もう少し表現方法を工夫したらどうかと思うのである。
以前、書道をやっている母親から“妍”という字を教えてもらったことがある。女偏の付く字にはあまり良い意味がない。“嫌”,“妾”,“姦”,“婬”,・・・
“嫁”という字にしたところで、“女”は常に“家”に居るものだという封建的な考え方から発する字なのである。しかし“妍”という字は「けん」と読み「女をみがく(磨く、研く)」という良い意味があるというのである。つまり、
(女 + 研) ⇒
ということである。
これを真似て、女偏の付く新しい漢字の造語を作ったらどうか。たとえばリケジョは、(女+理)系、つまり“
【注】(*)(女+里)という文字は存在するが、ここには表示できない。
たとえば、小説の中などで、
「ワタシ、
というように用いる。
「ワタシ、リケジョなんですぅ~」
などと表現する女性がどこにいるというのか?
今や我々は、日本語ワープロを用いて文章を書ける環境にいるのだから、ちょっとしたアドインソフトを用意すれば、誰でも簡単にこういった漢字の造語を作れる時代になったのではないかと思う。
(男 + 理) ⇒
(女 + 理) ⇒
(女 + 研) ⇒
貴方(女)いや、…貴
2014年1月20日月曜日
“ながらスマホ”の時代
歩きながらスマートフォンを使うことを「歩きスマホ」と呼ぶようになって間もないのに、もうこの言葉が国語辞典等に取り上げられているという。驚きである。これは、歩きスマホという行為が世間に及ぼす影響の大きさを示すものでもあろう。歩きながらケータイを使うのに比べて、スマホの場合ははるかに危険な行為であることが分かってきたからである。
「走りスマホ」と言うのもある。これは、マラソンや駅伝の選手がスマホを活用して自分の予想ラップタイムを確認したり、コーチからの指示をメールで受け取ったりするのに利用する行為(そんな訳ないだろ)… ではなく、自転車で走りながらスマホを利用することを言う。まあ「自転車スマホ」と呼ぶ方が分かりやすいかもしれない。
私は先日、この「自転車スマホ」をしている人にたまたま遭遇してしまった。それはそれは見事にスマホを使いこなしているように見えた。両腕を肘のところで曲げて自転車のハンドルの上に置き、肘から下の腕の部分だけでハンドル操作をする。そして空いている両手でスマホを持ち指先で画面操作をしながら時々前方に視線を走らせる(実は、このとき私としっかりと視線が合ってしまったのだ)。このようにして、ゆっくりと、ゆっくりと自転車を走らせていたのである(決して真似をしてはいけません)。
「授業中スマホ」と言うのもある。授業中、講義も聞かずに机の下あるいは机上に置いたスマホの画面を指の先でつついている姿をよく見かけるようになった。もちろん私は「授業中スマホ」を禁止しているのだが、そんな注意は聞きもしない。注意した直後は止めた振りをするが、しばらくするとまたスマホに没入してしまっている。困ったことである。
「久しぶりにスマホに90分間触らないでいました」という感想を寄せた学生もいた。他の授業の先生は、まったく注意をしていないらしい。
企業人から大学教師に転じた当座、私は授業中の私語(おしゃべり)に悩まされたものだが、ある年を境にして授業中の私語がまったくなくなった。後から気が付いたのだが、それはケータイが流行りだした頃であった。私語するよりケータイで遊んでいる方がはるかに楽しかったのであろう。このように、携帯端末の存在が授業に及ぼす影響は年々大きくなってきている。そして今年は、スマホの存在(とその性能)が授業に影響を及ぼした年として後々まで記憶されるのではないかと思う。「授業中スマホ」を禁止しても、もはや守られなくなった年として。
更に、スマホの充電能力が貧弱なので授業中に充電しようとするけしからん輩が増えてきたことである。家で十分に充電しておいても、大学へ行くまでの電車の中で使い、授業中にも使い、休憩時間にも使い…していると、その日の午後になるともう電池切れになってしまうのだという。したがって常に学生達は電源を求めて歩き回っている。いつでも充電、どこでも充電… と。
私は「情報倫理」の授業中に、教室の後ろの方まで歩いていった折に教室の隅のコンセントに2台のスマホが接続されて充電中であるのを発見した。こういう行為を「盗電」と呼ぶことを事前に教えていたのであるが。
授業のついでに充電していると言うよりも、充電のついでに講義を聞いているという感じなのである。
食事中のスマホ、授乳中のスマホ、デート中のスマホ、… 。
恋人同士が手をつないで歩きながら、それぞれの空いている方の手にスマホを持ち、それぞれがスマホを指で巧みに操っている。これが普通の風景となる日も近いのではないか。いよいよ「ながらスマホ」の時代になったということであろう。
「走りスマホ」と言うのもある。これは、マラソンや駅伝の選手がスマホを活用して自分の予想ラップタイムを確認したり、コーチからの指示をメールで受け取ったりするのに利用する行為(そんな訳ないだろ)… ではなく、自転車で走りながらスマホを利用することを言う。まあ「自転車スマホ」と呼ぶ方が分かりやすいかもしれない。
私は先日、この「自転車スマホ」をしている人にたまたま遭遇してしまった。それはそれは見事にスマホを使いこなしているように見えた。両腕を肘のところで曲げて自転車のハンドルの上に置き、肘から下の腕の部分だけでハンドル操作をする。そして空いている両手でスマホを持ち指先で画面操作をしながら時々前方に視線を走らせる(実は、このとき私としっかりと視線が合ってしまったのだ)。このようにして、ゆっくりと、ゆっくりと自転車を走らせていたのである(決して真似をしてはいけません)。
「授業中スマホ」と言うのもある。授業中、講義も聞かずに机の下あるいは机上に置いたスマホの画面を指の先でつついている姿をよく見かけるようになった。もちろん私は「授業中スマホ」を禁止しているのだが、そんな注意は聞きもしない。注意した直後は止めた振りをするが、しばらくするとまたスマホに没入してしまっている。困ったことである。
「久しぶりにスマホに90分間触らないでいました」という感想を寄せた学生もいた。他の授業の先生は、まったく注意をしていないらしい。
企業人から大学教師に転じた当座、私は授業中の私語(おしゃべり)に悩まされたものだが、ある年を境にして授業中の私語がまったくなくなった。後から気が付いたのだが、それはケータイが流行りだした頃であった。私語するよりケータイで遊んでいる方がはるかに楽しかったのであろう。このように、携帯端末の存在が授業に及ぼす影響は年々大きくなってきている。そして今年は、スマホの存在(とその性能)が授業に影響を及ぼした年として後々まで記憶されるのではないかと思う。「授業中スマホ」を禁止しても、もはや守られなくなった年として。
更に、スマホの充電能力が貧弱なので授業中に充電しようとするけしからん輩が増えてきたことである。家で十分に充電しておいても、大学へ行くまでの電車の中で使い、授業中にも使い、休憩時間にも使い…していると、その日の午後になるともう電池切れになってしまうのだという。したがって常に学生達は電源を求めて歩き回っている。いつでも充電、どこでも充電… と。
私は「情報倫理」の授業中に、教室の後ろの方まで歩いていった折に教室の隅のコンセントに2台のスマホが接続されて充電中であるのを発見した。こういう行為を「盗電」と呼ぶことを事前に教えていたのであるが。
授業のついでに充電していると言うよりも、充電のついでに講義を聞いているという感じなのである。
食事中のスマホ、授乳中のスマホ、デート中のスマホ、… 。
恋人同士が手をつないで歩きながら、それぞれの空いている方の手にスマホを持ち、それぞれがスマホを指で巧みに操っている。これが普通の風景となる日も近いのではないか。いよいよ「ながらスマホ」の時代になったということであろう。
2013年12月26日木曜日
電話詐欺への対応
家に電話が掛かってくる。受話器を取り上げるとプツンと切れてしまう。そういうことがこれまで何度もあった。
ベルが鳴ると、その時やっていた仕事を中断し急いで電話機(または子機)の置いてあるところへ駆けつけるのだが間に合わない。5回くらいのコールで受話器を取ってもすぐ切れてしまうのだから相当に気の短い人が掛けてきたのだろうと考えたりしていた。
書斎で仕事をしていて机上の子機が鳴った時も、ワンコールで直ぐに取ったのに切れてしまう。これは怪しい! 家に人が居るかどうかの確認をしているのだろうか。そこで気が付いたのである。いわゆる“オレオレ詐欺”の電話かもしれないと。
“オレオレ詐欺”は、そこで使われる手法が進化(?)する度に名称変更を迫られ、現在は“振り込め詐欺”とか“母さん助けて詐欺”とか、これら三つの名称のいずれかが使われているようである。しかし切っ掛けはいつも家の固定電話のベルが鳴るところから始まるのだから“電話詐欺”と呼ぶのが妥当ではないかと思う。
私は電話詐欺らしき電話が掛かってきたら、その話に乗った振りをして犯人逮捕に協力したいとかねがね思っていた。しかしこれまでそういう会話をする段階まで進んだことは残念ながら一度もない。どうやら、電話に出た時のこちらの声の調子から、カモには不向きと思われたのかもしれない。そう反省(?)した私めは、できるだけ弱々しい元気のない声で電話に出ることにした。だが、今までのところ効果はないようである。
“声の調子”ということで気が付いたのだが、今まで「受話器を取り上げたら直ぐ切れた」と表現してきたが、実は受話器を取った直後に、私は「もしもし」という声を発していたのである。それだ! その声から、こちらが男であることを相手に知られてしまったのだ。相手は女性のカモを捜していたのではなかろうか。詐欺師は女性の方が騙しやすいと思っているのかもしれない。
そこで私は、受話器を取っても一言も声を発しないことにした。これは、はっきり言って効果があった。電話は直ぐには切られなくなった! こちらがしっかりと聞き耳を立てていると、相手の職場(?)の背後の騒音が聞こえてくることがある。事務所のような所で電話している声も聞こえる。あるいは受話器を取った直後に男の声の会話が突然中断された瞬間を捉えることがある。雑談していて電話の相手が出たので雑談を打ち切りこちらに意識を向けた瞬間なのだ。お互いに耳を澄まして相手の出方を窺がう。ドキドキするような瞬間である。こちらは絶対に声を発しない。
ある程度沈黙の時間が流れると、相手はあきらめて一言も発することなく電話を切るようだ。その直前にこちらから電話を切るのがコツである。何度もやっているとその時間間隔の頃合いが分かってくる。相手に“プツン”とやられるのは気分が悪いものですからね。こちらから“プツン”とやってやると逆に実に気分が良い。
これはあまり他人には勧められないが、私はその瞬間に相手を侮辱する言葉(2~3音の短い言葉がよい)を発してから素早く電話を切ることにしている(おぬしもワルよのう…)。
こういうワルいことをする(不作法な)男の提言など聞いてもらえないかもしれないが、私は電話というものは掛けた方がまず第一声を発するべきではないかと思う。電話を掛けられた方はそれを待ってから応答の声を発する。それが礼儀作法(マナー)と言うものではないか。あるいは、それを習慣にしてはどうかと提言したい。電話詐欺対策としても有効になるのではないかと思う。
ベルが鳴ると、その時やっていた仕事を中断し急いで電話機(または子機)の置いてあるところへ駆けつけるのだが間に合わない。5回くらいのコールで受話器を取ってもすぐ切れてしまうのだから相当に気の短い人が掛けてきたのだろうと考えたりしていた。
書斎で仕事をしていて机上の子機が鳴った時も、ワンコールで直ぐに取ったのに切れてしまう。これは怪しい! 家に人が居るかどうかの確認をしているのだろうか。そこで気が付いたのである。いわゆる“オレオレ詐欺”の電話かもしれないと。
“オレオレ詐欺”は、そこで使われる手法が進化(?)する度に名称変更を迫られ、現在は“振り込め詐欺”とか“母さん助けて詐欺”とか、これら三つの名称のいずれかが使われているようである。しかし切っ掛けはいつも家の固定電話のベルが鳴るところから始まるのだから“電話詐欺”と呼ぶのが妥当ではないかと思う。
私は電話詐欺らしき電話が掛かってきたら、その話に乗った振りをして犯人逮捕に協力したいとかねがね思っていた。しかしこれまでそういう会話をする段階まで進んだことは残念ながら一度もない。どうやら、電話に出た時のこちらの声の調子から、カモには不向きと思われたのかもしれない。そう反省(?)した私めは、できるだけ弱々しい元気のない声で電話に出ることにした。だが、今までのところ効果はないようである。
“声の調子”ということで気が付いたのだが、今まで「受話器を取り上げたら直ぐ切れた」と表現してきたが、実は受話器を取った直後に、私は「もしもし」という声を発していたのである。それだ! その声から、こちらが男であることを相手に知られてしまったのだ。相手は女性のカモを捜していたのではなかろうか。詐欺師は女性の方が騙しやすいと思っているのかもしれない。
そこで私は、受話器を取っても一言も声を発しないことにした。これは、はっきり言って効果があった。電話は直ぐには切られなくなった! こちらがしっかりと聞き耳を立てていると、相手の職場(?)の背後の騒音が聞こえてくることがある。事務所のような所で電話している声も聞こえる。あるいは受話器を取った直後に男の声の会話が突然中断された瞬間を捉えることがある。雑談していて電話の相手が出たので雑談を打ち切りこちらに意識を向けた瞬間なのだ。お互いに耳を澄まして相手の出方を窺がう。ドキドキするような瞬間である。こちらは絶対に声を発しない。
ある程度沈黙の時間が流れると、相手はあきらめて一言も発することなく電話を切るようだ。その直前にこちらから電話を切るのがコツである。何度もやっているとその時間間隔の頃合いが分かってくる。相手に“プツン”とやられるのは気分が悪いものですからね。こちらから“プツン”とやってやると逆に実に気分が良い。
これはあまり他人には勧められないが、私はその瞬間に相手を侮辱する言葉(2~3音の短い言葉がよい)を発してから素早く電話を切ることにしている(おぬしもワルよのう…)。
こういうワルいことをする(不作法な)男の提言など聞いてもらえないかもしれないが、私は電話というものは掛けた方がまず第一声を発するべきではないかと思う。電話を掛けられた方はそれを待ってから応答の声を発する。それが礼儀作法(マナー)と言うものではないか。あるいは、それを習慣にしてはどうかと提言したい。電話詐欺対策としても有効になるのではないかと思う。
2013年11月23日土曜日
ほうていしき
私は、大学では数学科出身だったので「ほうていしき」と言えば “方程式” のことしか思い浮かばない。しかし “奉呈式” というのもあるらしいことを知った。
米国のキャロライン・ケネディ新駐日大使が華麗な馬車に乗って皇居に向かい、天皇陛下に信任状を提出する儀式に臨んだ、とニュースは伝えている。新任の大使は必ず皇居で信任状を提出する慣わしがあることは承知していたが、寡聞にしてそれを奉呈式(Diplomatic accreditation)と呼ぶとは知らなかった。普通ならこれほど大きく報じられることはないが、ケネディ家の人だからこそ注目されニュースに取りあげられたのであろう。
日本語変換ソフトの開発担当者は、開発中の辞書にちゃんと登録されているかどうか慌てて確認していることであろう。私が普段使っているパソコンの変換辞書には登録されていないが、滅多に使わない用語であるからよしとしよう。
しかし“奉”は“捧”の字を当てているメディアもある。統一してほしいものである。
米国のキャロライン・ケネディ新駐日大使が華麗な馬車に乗って皇居に向かい、天皇陛下に信任状を提出する儀式に臨んだ、とニュースは伝えている。新任の大使は必ず皇居で信任状を提出する慣わしがあることは承知していたが、寡聞にしてそれを奉呈式(Diplomatic accreditation)と呼ぶとは知らなかった。普通ならこれほど大きく報じられることはないが、ケネディ家の人だからこそ注目されニュースに取りあげられたのであろう。
日本語変換ソフトの開発担当者は、開発中の辞書にちゃんと登録されているかどうか慌てて確認していることであろう。私が普段使っているパソコンの変換辞書には登録されていないが、滅多に使わない用語であるからよしとしよう。
しかし“奉”は“捧”の字を当てているメディアもある。統一してほしいものである。
2013年11月1日金曜日
川上一塁手の守備力
元巨人軍監督の川上哲治氏が亡くなった。
現役選手の時代には“赤バットの川上”と“青バットの大下”と並び称されて、大下選手とともに野球ファンの人気を二分していたものである。
しかし色々な論評を見ていると打者としての川上、監督としての川上の話は多く出てくるが、一塁手としての守備の話はまるで出てこない。何故か? それは川上一塁手の守備が恐ろしく下手だったからである。
野手がボールを一塁に投げるとき、川上一塁手のグラブにスッポリと納まるようなストライクでないと川上御大から睨まれることになる。ショートバウンドするようなボールを投げたりしたらそれこそ一大事である。しかし高い球ならそれほど睨まれることはなかったようだ。普通、高い球ならベースから足を離してでもジャンプしたりして捕球しようとするものであるが、川上選手は決してそのようなことはしなかった。ボールが一塁ベース近くに届く前に彼はクルリとボールに背を向け、ボールが転がるであろう方角に向けて一目散に走り出すのであった。本来、そちらの方は捕手がバックアップにまわることになっているから、一塁手の務めはボールをとにかく止めて打者の進塁を防ぐ努力をすべきなのである。しかし彼はそれをしなかったのだ。
川上選手の動作を遠くから見ていると一塁手にはとても取れないような大暴投だったように見える。それが彼の狙いなのだ。ジャンプして取り損ねたりエラーする危険を冒すよりもボールを投げた野手の責任にしてしまった方が面倒がない。16の背番号を揺らしながら、そして少し“がに股”でボールを追いかけようとする後ろ姿がTV画面に映ると、私は「あっ! またやっている」と思ったものである。しかしTVの解説者は決してそのことに触れようとはしなかった。
熱心な巨人ファンがこれを読んだら憤慨するに違いない。野球の神様に向かって何と言うことを言うのか! と。最悪の場合、名誉棄損あるいは侮辱罪で訴えられるかもしれない。
名誉毀損は、刑法230条1項「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮亦は50万円以下の罰金に処する」と定めているから、事実を述べていても罰せられるのである。刑法231条の侮辱罪にあたる可能性もある。
もし訴えられたら、誰かに“アンチ巨人”の有能な弁護士を紹介してもらいたいものである。誰か高校時代の友人にいないであろうか。
最悪の場合には亡命も考えておくべきであろう。それには、中学時代の同級生のI氏に頼んでオーストラリア政府に亡命申請してもらおうかと考えている。
現役選手の時代には“赤バットの川上”と“青バットの大下”と並び称されて、大下選手とともに野球ファンの人気を二分していたものである。
しかし色々な論評を見ていると打者としての川上、監督としての川上の話は多く出てくるが、一塁手としての守備の話はまるで出てこない。何故か? それは川上一塁手の守備が恐ろしく下手だったからである。
野手がボールを一塁に投げるとき、川上一塁手のグラブにスッポリと納まるようなストライクでないと川上御大から睨まれることになる。ショートバウンドするようなボールを投げたりしたらそれこそ一大事である。しかし高い球ならそれほど睨まれることはなかったようだ。普通、高い球ならベースから足を離してでもジャンプしたりして捕球しようとするものであるが、川上選手は決してそのようなことはしなかった。ボールが一塁ベース近くに届く前に彼はクルリとボールに背を向け、ボールが転がるであろう方角に向けて一目散に走り出すのであった。本来、そちらの方は捕手がバックアップにまわることになっているから、一塁手の務めはボールをとにかく止めて打者の進塁を防ぐ努力をすべきなのである。しかし彼はそれをしなかったのだ。
川上選手の動作を遠くから見ていると一塁手にはとても取れないような大暴投だったように見える。それが彼の狙いなのだ。ジャンプして取り損ねたりエラーする危険を冒すよりもボールを投げた野手の責任にしてしまった方が面倒がない。16の背番号を揺らしながら、そして少し“がに股”でボールを追いかけようとする後ろ姿がTV画面に映ると、私は「あっ! またやっている」と思ったものである。しかしTVの解説者は決してそのことに触れようとはしなかった。
熱心な巨人ファンがこれを読んだら憤慨するに違いない。野球の神様に向かって何と言うことを言うのか! と。最悪の場合、名誉棄損あるいは侮辱罪で訴えられるかもしれない。
名誉毀損は、刑法230条1項「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮亦は50万円以下の罰金に処する」と定めているから、事実を述べていても罰せられるのである。刑法231条の侮辱罪にあたる可能性もある。
もし訴えられたら、誰かに“アンチ巨人”の有能な弁護士を紹介してもらいたいものである。誰か高校時代の友人にいないであろうか。
最悪の場合には亡命も考えておくべきであろう。それには、中学時代の同級生のI氏に頼んでオーストラリア政府に亡命申請してもらおうかと考えている。
2013年10月31日木曜日
仕事に対する責任感
今年は大型の台風が多かったが10月の後半に入りやっと台風の季節も終ったようである。
台風26号が関東地方に接近した時には大学の授業が休講になるかどうかの騒ぎになった。幸いにも関東地方は直撃をまぬがれたが、その影響で午前中の授業はすべて休講となってしまった。私の担当科目は午後だったので休講とはならなかったが、それでもいつもより学生の出席率は悪かったようである。
会社員の場合、最近はこういう非常時には無理に出社したりせず在宅で仕事をする人が増えてきているから、学生達も同じように無理して出席することもないと考える人が増えたのであろう。
私が会社勤めをしていた頃は、台風や交通ストなどで出社に影響するような事態になると、普段以上に頑張って出社しようと努力したものである。仕事に取り組む姿勢や責任感を誇示するには絶好の機会だった。特に大切な会議が予定されているような場合は、意地でも遅刻しないよう最大限の努力をするのがサラリーマンとしてのマナーであったような気がする。つまり、その程度のことでしか自己表現ができない社員ばかりだったとも言えるのだが。
昔、T社とN社の合弁会社に出向していたことがあった。T社からN社へ技術移転をするのが目的だったから、両方の親会社からかなりの人数の技術者(取締役クラスも含めて)が出向して一緒に仕事をしていたのである。
ある時、全国的な交通ストライキがあり、我々T社から出向している社員達は当然のごとく、定時に仕事が始められるようあらかじめ準備しておくことにした。T社ではそれが普通だった。
交通手段のない者は全員寝袋を用意したり布団を借りたりして前日から会社に泊まり込んだのである。翌日T社出身の社員は全員、何事もなかったかのように朝一番から普段通りに執務していた。
その時、N社から出向していた幹部(取締役)が社員の出社状況を確認しようと各職場の見廻りにやってきた。そして、T社のエリアでは全員がそろって普段通り執務しているのを見て「何だ、これは!」と驚嘆することになった。それに反しN社の社員がいるエリアはガラ空きだったのであろう。これは社風の違いかもしれないが、社員の仕事に対する姿勢、責任感、意気込みの違いを見せつけられたと感じたのではないかと思う。T社の一員として私は溜飲を下げたのであった。
当時は、こういったことが 仕事に対する責任感 があるかどうかを知る指標の一つになっていたのである。最近は誰でもモバイル機器を持っているし、在宅に限らず何処に居ても仕事をすることが容易になっているから、必ずしも仕事に対する責任感の有無を判別する指標とはならなくなってきている。結構なことではないか。
台風26号が関東地方に接近した時には大学の授業が休講になるかどうかの騒ぎになった。幸いにも関東地方は直撃をまぬがれたが、その影響で午前中の授業はすべて休講となってしまった。私の担当科目は午後だったので休講とはならなかったが、それでもいつもより学生の出席率は悪かったようである。
会社員の場合、最近はこういう非常時には無理に出社したりせず在宅で仕事をする人が増えてきているから、学生達も同じように無理して出席することもないと考える人が増えたのであろう。
私が会社勤めをしていた頃は、台風や交通ストなどで出社に影響するような事態になると、普段以上に頑張って出社しようと努力したものである。仕事に取り組む姿勢や責任感を誇示するには絶好の機会だった。特に大切な会議が予定されているような場合は、意地でも遅刻しないよう最大限の努力をするのがサラリーマンとしてのマナーであったような気がする。つまり、その程度のことでしか自己表現ができない社員ばかりだったとも言えるのだが。
昔、T社とN社の合弁会社に出向していたことがあった。T社からN社へ技術移転をするのが目的だったから、両方の親会社からかなりの人数の技術者(取締役クラスも含めて)が出向して一緒に仕事をしていたのである。
ある時、全国的な交通ストライキがあり、我々T社から出向している社員達は当然のごとく、定時に仕事が始められるようあらかじめ準備しておくことにした。T社ではそれが普通だった。
交通手段のない者は全員寝袋を用意したり布団を借りたりして前日から会社に泊まり込んだのである。翌日T社出身の社員は全員、何事もなかったかのように朝一番から普段通りに執務していた。
その時、N社から出向していた幹部(取締役)が社員の出社状況を確認しようと各職場の見廻りにやってきた。そして、T社のエリアでは全員がそろって普段通り執務しているのを見て「何だ、これは!」と驚嘆することになった。それに反しN社の社員がいるエリアはガラ空きだったのであろう。これは社風の違いかもしれないが、社員の仕事に対する姿勢、責任感、意気込みの違いを見せつけられたと感じたのではないかと思う。T社の一員として私は溜飲を下げたのであった。
当時は、こういったことが 仕事に対する責任感 があるかどうかを知る指標の一つになっていたのである。最近は誰でもモバイル機器を持っているし、在宅に限らず何処に居ても仕事をすることが容易になっているから、必ずしも仕事に対する責任感の有無を判別する指標とはならなくなってきている。結構なことではないか。
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