どうやら、長らく眠っていた私めの“親知らず”(第三大臼歯)が、この齢になって急に目を覚まし動き出したようである。
実は2か月程前、口の中の左上部に口内炎ができてしまった(これは、よくあること)。その口内炎は直ぐ治ったのだが、その中心の部分にどういう訳か小さなポチッとした突起状のものが残ってしまった。2か月程経ってもその状態が変わらないので口腔外科で診てもらうことにした。
診察してくれた医師は「これは骨ですねぇ~」と言う。つまり骨の部分が出っ張っているのだと言うのだ。予想外の診断結果に、癌だと言われるかもしれないと内心(ちょっぴり)覚悟していたので正直なところホッとしたのである。そこで「安心しました」と言ってそのまま帰ってきてもよかったのだが、どうも何か合点がいかない。骨が出っ張っているのなら以前から気が付いていた筈である。最近出っ張ってきたとしか思えない。そのとき、ふと私は気が付いた。これは親知らずではなかろうかと。
医師もその可能性はあると私の意見に同意してくれて、早速X線写真を撮って調べてくれた。その結果、可能性は益々高くなってきたのだが、まだ確定できる段階ではない。少し様子を見ましょう、ということになったのである。
親知らずという歯は、20歳前後に生えてくるのが普通であるという。平均寿命が短かった昔は、子供の親知らずが生えてくる前に親は亡くなってしまうから、親知らずと呼ばれるようになったらしい。
医師よりも先に「親知らずではないか?」と気が付いたのには実は理由があった。私は歯の手入れは十分にしてきた積りなので、この齢になるまで無事にすべての歯を維持してきている。ただ残念なことに、生来左下の奥歯(第二大臼歯)が1本欠けていた。そのため、対応する左上の奥歯の方が、噛み合う相手がなくて役目を果たすことなくさびしく存在し続けていたのである。
その歯が、長い年月の間に少しずつ下に伸びてきていた。なぜ伸びてくるのかは分からないが、下からの圧力がないのが最大の原因ではないかと思う。更に悪いことに、下に伸びた歯が少し外側に傾きだしていた。そのことに気が付かなかったので、隣りの第一大臼歯との間が少し開いてきたことにも気が付かなかった。そして両方の歯の間のみがき方が足りなかったのであろう、気が付いたときには虫歯になりかかっていたのである。その虫歯を治療するよりも(どうせ使われていない歯なら)抜いてしまった方がよい、というのが歯科医の判断であった。かくして私めは、生まれて初めて“抜歯”というものを経験することになったのである。そのとき歯医者に言われたのは、この歯の後ろに親知らずがあるから、もしかするとそれが生えてくるかもしれませんよ。そう警告されていたのである。
親知らずも表に出たかったのであろう。それを邪魔している第二大臼歯を長年上から少しずつ押し続けていたのかもしれない。この齢になって親知らずの抜歯を受けるのかと思うと、気が重くなることである。
年寄りになると誰でも入れ歯のお世話になるものだが、入れ歯ではなく本物の自分の歯(それも新品の!)を与えられるのだから喜ばなければいけないのかもしれない。高貴な年寄りになったことへのご褒美という風に考えられると良いのであるが。
2014年6月26日木曜日
2014年5月22日木曜日
待ち時間に読む本
私は外出するとき何時もショルダーバッグに本を一冊入れておく。待ち時間に読むための本である。銀行でATMの行列に並んでいる時や、病院の受付あるいは診療待合室で待っている間などに取り出して読む。待ち時間に本を読んでいると、少なくともその時間を“無駄にはしなかった”ような気分になれるのである(有効に使ったとまでは思わないが)。特に、駅で電車の到着を待っているような時はすぐさま本を取り出して読み始める。慣れてくると瞬時に物語の世界に没入できる。すると、不思議なもので電車は直ぐにやって来る。
携帯する本は、バッグからの出し入れがしやすい文庫本サイズのコンパクトなものが向いている。更に、頻繁の出し入れに耐えられるよう、あらかじめ丈夫なカバーを掛けておくとよい。
本の種類は技術書のような難しい本ではなく、血沸き肉躍る面白い内容の本であることが望ましい。この条件さえ満たしていれば、電車は直ぐに来る! それこそ、あっという間にやって来る(これは私が保証する)。
待ち時間向きの本として私は海外作品のリーガルサスペンス物が一番好きなのだが、最近読んだものでは本屋で偶然に見つけた「素数の音楽」(*)という本が最高であった。
【注】(*)新潮文庫「素数の音楽」マーカス・デュ・ソートイ(冨永星訳)
周知の通り「素数」というのは数学の世界では最も注目度の高いテーマであるから、どちらかと言えば技術書という分類に属する本である。しかし素数の研究に取り組んだ数学者たちの業績、歴史、あるいはその裏にある人間臭い数々のエピソードを読んでいると、面白くて、面白くて、思わずのめり込んでしまうのである。もちろん数式も沢山登場するが(残念ながら1か所だけ数式が間違っている)、意味を理解するのにそれほど苦労することはない。
著者のデュ・ソートイは、オックスフォード大学数学研究所の教授であり、科学啓蒙という業績により大英帝国勲章を受章している。難しい科学のテーマを分かりやすく教える特技を持っている人らしい。そういう人が書いた本であるから尚更興味深いのである。
待ち時間に読もうとすると、以前中断した箇所から読み継ぐ際に少し戻ってもう一度読み返す必要に迫られることもある。そうやって復習している間に電車が来てしまい、結局一行も前へ読み進めないまま再び中断しなければならなくなることもある。これは過密ダイヤのせいなのかもしれないが。
断片的に少しづつ読み進んでいくと、どうしても読了するまでに時間が掛かる。それだけ長く楽しめるとも言えるが、全体的な感銘度や理解度は少し落ちるのではないかと思う。できれば、電車が絶対に来ないところで、もう一度最初からじっくりと読んで見たいと思う。
携帯する本は、バッグからの出し入れがしやすい文庫本サイズのコンパクトなものが向いている。更に、頻繁の出し入れに耐えられるよう、あらかじめ丈夫なカバーを掛けておくとよい。
本の種類は技術書のような難しい本ではなく、血沸き肉躍る面白い内容の本であることが望ましい。この条件さえ満たしていれば、電車は直ぐに来る! それこそ、あっという間にやって来る(これは私が保証する)。
待ち時間向きの本として私は海外作品のリーガルサスペンス物が一番好きなのだが、最近読んだものでは本屋で偶然に見つけた「素数の音楽」(*)という本が最高であった。
【注】(*)新潮文庫「素数の音楽」マーカス・デュ・ソートイ(冨永星訳)
周知の通り「素数」というのは数学の世界では最も注目度の高いテーマであるから、どちらかと言えば技術書という分類に属する本である。しかし素数の研究に取り組んだ数学者たちの業績、歴史、あるいはその裏にある人間臭い数々のエピソードを読んでいると、面白くて、面白くて、思わずのめり込んでしまうのである。もちろん数式も沢山登場するが(残念ながら1か所だけ数式が間違っている)、意味を理解するのにそれほど苦労することはない。
著者のデュ・ソートイは、オックスフォード大学数学研究所の教授であり、科学啓蒙という業績により大英帝国勲章を受章している。難しい科学のテーマを分かりやすく教える特技を持っている人らしい。そういう人が書いた本であるから尚更興味深いのである。
待ち時間に読もうとすると、以前中断した箇所から読み継ぐ際に少し戻ってもう一度読み返す必要に迫られることもある。そうやって復習している間に電車が来てしまい、結局一行も前へ読み進めないまま再び中断しなければならなくなることもある。これは過密ダイヤのせいなのかもしれないが。
断片的に少しづつ読み進んでいくと、どうしても読了するまでに時間が掛かる。それだけ長く楽しめるとも言えるが、全体的な感銘度や理解度は少し落ちるのではないかと思う。できれば、電車が絶対に来ないところで、もう一度最初からじっくりと読んで見たいと思う。
2014年4月15日火曜日
Windows XP マシンを捨てる?
Windows XP のサポートが終了するという事態になり、世間の動向に押されて私めも重い腰を上げざるを得なくなった。自分の手持ちのパソコンを見直すことにしたのである。
普段から、Windows系のパソコンは常に複数台を確保し、非常事態に備えつつ自分の開発環境を守ってきた。現在は主力マシンはWin-7マシンで、補助のマシンとしてWin-XPマシンを充てている。このXPマシンの方を処分しなければならないのだ。Win-8マシンはまだ入手していなかったので、この際消費税が8%になる直前の機会を捉えて買い換えることにした。
Win-8マシンはタブレット指向で使い難く今まで敬遠していたが、Win-8.1にバージョンアップされ少しは使い勝手も改善されたようである。かくして、私はWin-7マシンとWin-8.1マシンの利用者となった。
しかし何か割り切れないものがある。自動車や電化製品等で欠陥が明らかになると、普通はリコールされたり、命に関わるような事故が予想される場合は最後の1台まで見付け出して代替品に無償交換するのがメーカー側の務めであるように思う。そう思ってきたから、大量のWin-XPマシンが世の中に存在しているのにソフトウェア会社(MS)側が「もはや、これまで!」とすべて買い替えるよう勧めるキャンペーンを始めたのには正直驚いた。これからは、こういう売り方をするのが主流になるのであろうか。それに対し誰も異論をとなえようとしない。これは少しおかしいのではないか。
新聞記事では「13年間もサポートしてくれた」とか、TVニュースの女性キャスターが、ふと「無料でソフトを提供してくれればいいのに…」ともらすと(私はまったく同感なのだが)、直ぐさま批判の声が起こったりしている。全員がソフトウェア会社の側に立っているように思える。Windowsというソフトウェアに不具合があり、その作成に携わったソフトウェア会社が「もはやこれ以上は直せない」と言って投げ出してしまったのである。
一方、それをささえるコンピュータ本体(ハードウェア)の方には何の欠陥もない! コンピュータ会社は、お客が買い替えで新たなコンピュータを沢山買ってくれればよい訳だから、ただ黙っているのが得策であろう。私もコンピュータ会社の一員であったから、その点はよく理解できる。しかし同時に、苦労して造ったマシンが何の欠陥もないのに、ただソフトがないからという理由だけであっさりと捨てられてしまう。この事態を見て悔しい気持ちにならないとしたら、それは開発に携わった技術者として少しおかしいのではないか。
(Win-XPマシン)
私は不要になったWin-XPマシンを前にして、一人悔しい思いをしている。特にこのマシンは、大学の講義で使うために携帯に便利なようにと超薄型で超軽量のものを選んで買ったので当然高価であった。Win-Vistaマシンとして購入したが、Vista が実用にならないのでXPにダウングレードしたものである。まだ6年しか(!)使っていない。こんなデザインの良いものを、悔しい! 昔の仲間達が造ったものを簡単に捨ててたまるか。何とかこのマシンを使えるようにしたい。私はそう思いつつ思案しているところである。
普段から、Windows系のパソコンは常に複数台を確保し、非常事態に備えつつ自分の開発環境を守ってきた。現在は主力マシンはWin-7マシンで、補助のマシンとしてWin-XPマシンを充てている。このXPマシンの方を処分しなければならないのだ。Win-8マシンはまだ入手していなかったので、この際消費税が8%になる直前の機会を捉えて買い換えることにした。
Win-8マシンはタブレット指向で使い難く今まで敬遠していたが、Win-8.1にバージョンアップされ少しは使い勝手も改善されたようである。かくして、私はWin-7マシンとWin-8.1マシンの利用者となった。
しかし何か割り切れないものがある。自動車や電化製品等で欠陥が明らかになると、普通はリコールされたり、命に関わるような事故が予想される場合は最後の1台まで見付け出して代替品に無償交換するのがメーカー側の務めであるように思う。そう思ってきたから、大量のWin-XPマシンが世の中に存在しているのにソフトウェア会社(MS)側が「もはや、これまで!」とすべて買い替えるよう勧めるキャンペーンを始めたのには正直驚いた。これからは、こういう売り方をするのが主流になるのであろうか。それに対し誰も異論をとなえようとしない。これは少しおかしいのではないか。
新聞記事では「13年間もサポートしてくれた」とか、TVニュースの女性キャスターが、ふと「無料でソフトを提供してくれればいいのに…」ともらすと(私はまったく同感なのだが)、直ぐさま批判の声が起こったりしている。全員がソフトウェア会社の側に立っているように思える。Windowsというソフトウェアに不具合があり、その作成に携わったソフトウェア会社が「もはやこれ以上は直せない」と言って投げ出してしまったのである。
一方、それをささえるコンピュータ本体(ハードウェア)の方には何の欠陥もない! コンピュータ会社は、お客が買い替えで新たなコンピュータを沢山買ってくれればよい訳だから、ただ黙っているのが得策であろう。私もコンピュータ会社の一員であったから、その点はよく理解できる。しかし同時に、苦労して造ったマシンが何の欠陥もないのに、ただソフトがないからという理由だけであっさりと捨てられてしまう。この事態を見て悔しい気持ちにならないとしたら、それは開発に携わった技術者として少しおかしいのではないか。
私は不要になったWin-XPマシンを前にして、一人悔しい思いをしている。特にこのマシンは、大学の講義で使うために携帯に便利なようにと超薄型で超軽量のものを選んで買ったので当然高価であった。Win-Vistaマシンとして購入したが、Vista が実用にならないのでXPにダウングレードしたものである。まだ6年しか(!)使っていない。こんなデザインの良いものを、悔しい! 昔の仲間達が造ったものを簡単に捨ててたまるか。何とかこのマシンを使えるようにしたい。私はそう思いつつ思案しているところである。
2014年3月19日水曜日
メダルをかじる
オリンピックやパラリンピックでのメダル授与式で、メダルをかじるパフォーマンスが話題になっている。私は以前から何故選手が“メダルをかじる”のか理解に苦しんでいたが、その関係の新聞記事を読んでやっと合点がいったのである。どうやらメディア関係者が選手にそういう行為をするよう要求するのが原因であるらしい。しかしメダルをかじる行為が何を意味するのかに言及したものはなかった。
昔流行った西部劇映画の熱烈なファンなら誰でも知っていることだが、昔は金貨を手に入れたらそれが本物の金であることを確かめる必要があった。その確認のために“咬んで”みるのである。歯型が付く程度に柔らかければ本物の可能性が高いが、固くて歯型が付かなければ間違いなく偽物なのだ。決して“かじって”いる訳ではない。
そういう習慣があったことを知っていれば、表彰式でメダルを噛む(かじるのではない!)という行為は、それが本物であることを疑っていることになるから甚だ礼を失した行為であるといえよう。ましてや、金ではない(銀メダルや銅メダルの)受賞者にメダルを噛む行為を要求するのはあり得ないことである。
私は、メディア関係者に以下2点の間違いを指摘したい。
・金メダルは“咬む”のは構わないが“かじる”ものではない。
・金メダル以外のメダル獲得者にメダルを咬むことを要求するべきではない。
昔流行った西部劇映画の熱烈なファンなら誰でも知っていることだが、昔は金貨を手に入れたらそれが本物の金であることを確かめる必要があった。その確認のために“咬んで”みるのである。歯型が付く程度に柔らかければ本物の可能性が高いが、固くて歯型が付かなければ間違いなく偽物なのだ。決して“かじって”いる訳ではない。
そういう習慣があったことを知っていれば、表彰式でメダルを噛む(かじるのではない!)という行為は、それが本物であることを疑っていることになるから甚だ礼を失した行為であるといえよう。ましてや、金ではない(銀メダルや銅メダルの)受賞者にメダルを噛む行為を要求するのはあり得ないことである。
私は、メディア関係者に以下2点の間違いを指摘したい。
・金メダルは“咬む”のは構わないが“かじる”ものではない。
・金メダル以外のメダル獲得者にメダルを咬むことを要求するべきではない。
2014年2月8日土曜日
リケジョ
“リケジョ”という言葉が流行っている。小保方晴子さんのSTAP細胞に関する研究成果の劇的な報道があった後は、尚更話題になる機会が増えたように思う。
リケジョとは、理科系の科目を学んでいる(あるいは、学んだことのある)女性を指しているが、そういう経歴を持つ職業人(主に、技術者、研究者等)に対しても使われているようである。確かに、理科系の科目を専攻する女性は、比率的には理科系男子より数が少ないかもしれない。しかし専攻する科目によっては女性の方が多い科目も存在する。
世間では、将来の進むべき方向を「理系か」「文系か」という二者択一で選ぶ傾向があり、女性は文系のコースに進むのが普通だと考える ある種の偏見のようなものがあるのだろう。それなら、文系に進む男子の数は少ないかというと、必ずしもそうとも言えない。その証拠とはならないけれど、文系男子を“ブンダン”とか“ブンメン”とか呼んで特別視する造語は(私の知る限り、今のところ)存在しないじゃないですか。
“リケジョ”という表現は、理系の女性を一括して表現できる便利な言葉だと私も思う。しかし、このようなカナ表現の4文字造語はどうもいただけない。初めて聞いたとき、直ぐその意味を理解できないからである。それに対し“就活”,“婚活”,“終活”などの造語は、使い慣れている生活という言葉から容易に意味を想像することができる。カナ文字だけの表現ではそうはいかない。日本人は漢字という表意文字を持っているのだから、もう少し表現方法を工夫したらどうかと思うのである。
以前、書道をやっている母親から“妍”という字を教えてもらったことがある。女偏の付く字にはあまり良い意味がない。“嫌”,“妾”,“姦”,“婬”,・・・
“嫁”という字にしたところで、“女”は常に“家”に居るものだという封建的な考え方から発する字なのである。しかし“妍”という字は「けん」と読み「女をみがく(磨く、研く)」という良い意味があるというのである。つまり、
(女 + 研) ⇒
⇒ 
ということである。
これを真似て、女偏の付く新しい漢字の造語を作ったらどうか。たとえばリケジョは、(女+理)系、つまり“
系”あるいは (女+里)(*)系、つまり“
系”と書いて表現するのである。
たとえば、小説の中などで、
「ワタシ、
系なんですぅ~」
というように用いる。
「ワタシ、リケジョなんですぅ~」
などと表現する女性がどこにいるというのか?
今や我々は、日本語ワープロを用いて文章を書ける環境にいるのだから、ちょっとしたアドインソフトを用意すれば、誰でも簡単にこういった漢字の造語を作れる時代になったのではないかと思う。
(男 + 理) ⇒
(女 + 理) ⇒
⇒ 
(女 + 研) ⇒
⇒ 
貴方(女)いや、…貴
も挑戦してみては如何?■
リケジョとは、理科系の科目を学んでいる(あるいは、学んだことのある)女性を指しているが、そういう経歴を持つ職業人(主に、技術者、研究者等)に対しても使われているようである。確かに、理科系の科目を専攻する女性は、比率的には理科系男子より数が少ないかもしれない。しかし専攻する科目によっては女性の方が多い科目も存在する。
世間では、将来の進むべき方向を「理系か」「文系か」という二者択一で選ぶ傾向があり、女性は文系のコースに進むのが普通だと考える ある種の偏見のようなものがあるのだろう。それなら、文系に進む男子の数は少ないかというと、必ずしもそうとも言えない。その証拠とはならないけれど、文系男子を“ブンダン”とか“ブンメン”とか呼んで特別視する造語は(私の知る限り、今のところ)存在しないじゃないですか。
“リケジョ”という表現は、理系の女性を一括して表現できる便利な言葉だと私も思う。しかし、このようなカナ表現の4文字造語はどうもいただけない。初めて聞いたとき、直ぐその意味を理解できないからである。それに対し“就活”,“婚活”,“終活”などの造語は、使い慣れている生活という言葉から容易に意味を想像することができる。カナ文字だけの表現ではそうはいかない。日本人は漢字という表意文字を持っているのだから、もう少し表現方法を工夫したらどうかと思うのである。
以前、書道をやっている母親から“妍”という字を教えてもらったことがある。女偏の付く字にはあまり良い意味がない。“嫌”,“妾”,“姦”,“婬”,・・・
“嫁”という字にしたところで、“女”は常に“家”に居るものだという封建的な考え方から発する字なのである。しかし“妍”という字は「けん」と読み「女をみがく(磨く、研く)」という良い意味があるというのである。つまり、
(女 + 研) ⇒
ということである。
これを真似て、女偏の付く新しい漢字の造語を作ったらどうか。たとえばリケジョは、(女+理)系、つまり“
【注】(*)(女+里)という文字は存在するが、ここには表示できない。
たとえば、小説の中などで、
「ワタシ、
というように用いる。
「ワタシ、リケジョなんですぅ~」
などと表現する女性がどこにいるというのか?
今や我々は、日本語ワープロを用いて文章を書ける環境にいるのだから、ちょっとしたアドインソフトを用意すれば、誰でも簡単にこういった漢字の造語を作れる時代になったのではないかと思う。
(男 + 理) ⇒
(女 + 理) ⇒
(女 + 研) ⇒
貴方(女)いや、…貴
2014年1月20日月曜日
“ながらスマホ”の時代
歩きながらスマートフォンを使うことを「歩きスマホ」と呼ぶようになって間もないのに、もうこの言葉が国語辞典等に取り上げられているという。驚きである。これは、歩きスマホという行為が世間に及ぼす影響の大きさを示すものでもあろう。歩きながらケータイを使うのに比べて、スマホの場合ははるかに危険な行為であることが分かってきたからである。
「走りスマホ」と言うのもある。これは、マラソンや駅伝の選手がスマホを活用して自分の予想ラップタイムを確認したり、コーチからの指示をメールで受け取ったりするのに利用する行為(そんな訳ないだろ)… ではなく、自転車で走りながらスマホを利用することを言う。まあ「自転車スマホ」と呼ぶ方が分かりやすいかもしれない。
私は先日、この「自転車スマホ」をしている人にたまたま遭遇してしまった。それはそれは見事にスマホを使いこなしているように見えた。両腕を肘のところで曲げて自転車のハンドルの上に置き、肘から下の腕の部分だけでハンドル操作をする。そして空いている両手でスマホを持ち指先で画面操作をしながら時々前方に視線を走らせる(実は、このとき私としっかりと視線が合ってしまったのだ)。このようにして、ゆっくりと、ゆっくりと自転車を走らせていたのである(決して真似をしてはいけません)。
「授業中スマホ」と言うのもある。授業中、講義も聞かずに机の下あるいは机上に置いたスマホの画面を指の先でつついている姿をよく見かけるようになった。もちろん私は「授業中スマホ」を禁止しているのだが、そんな注意は聞きもしない。注意した直後は止めた振りをするが、しばらくするとまたスマホに没入してしまっている。困ったことである。
「久しぶりにスマホに90分間触らないでいました」という感想を寄せた学生もいた。他の授業の先生は、まったく注意をしていないらしい。
企業人から大学教師に転じた当座、私は授業中の私語(おしゃべり)に悩まされたものだが、ある年を境にして授業中の私語がまったくなくなった。後から気が付いたのだが、それはケータイが流行りだした頃であった。私語するよりケータイで遊んでいる方がはるかに楽しかったのであろう。このように、携帯端末の存在が授業に及ぼす影響は年々大きくなってきている。そして今年は、スマホの存在(とその性能)が授業に影響を及ぼした年として後々まで記憶されるのではないかと思う。「授業中スマホ」を禁止しても、もはや守られなくなった年として。
更に、スマホの充電能力が貧弱なので授業中に充電しようとするけしからん輩が増えてきたことである。家で十分に充電しておいても、大学へ行くまでの電車の中で使い、授業中にも使い、休憩時間にも使い…していると、その日の午後になるともう電池切れになってしまうのだという。したがって常に学生達は電源を求めて歩き回っている。いつでも充電、どこでも充電… と。
私は「情報倫理」の授業中に、教室の後ろの方まで歩いていった折に教室の隅のコンセントに2台のスマホが接続されて充電中であるのを発見した。こういう行為を「盗電」と呼ぶことを事前に教えていたのであるが。
授業のついでに充電していると言うよりも、充電のついでに講義を聞いているという感じなのである。
食事中のスマホ、授乳中のスマホ、デート中のスマホ、… 。
恋人同士が手をつないで歩きながら、それぞれの空いている方の手にスマホを持ち、それぞれがスマホを指で巧みに操っている。これが普通の風景となる日も近いのではないか。いよいよ「ながらスマホ」の時代になったということであろう。
「走りスマホ」と言うのもある。これは、マラソンや駅伝の選手がスマホを活用して自分の予想ラップタイムを確認したり、コーチからの指示をメールで受け取ったりするのに利用する行為(そんな訳ないだろ)… ではなく、自転車で走りながらスマホを利用することを言う。まあ「自転車スマホ」と呼ぶ方が分かりやすいかもしれない。
私は先日、この「自転車スマホ」をしている人にたまたま遭遇してしまった。それはそれは見事にスマホを使いこなしているように見えた。両腕を肘のところで曲げて自転車のハンドルの上に置き、肘から下の腕の部分だけでハンドル操作をする。そして空いている両手でスマホを持ち指先で画面操作をしながら時々前方に視線を走らせる(実は、このとき私としっかりと視線が合ってしまったのだ)。このようにして、ゆっくりと、ゆっくりと自転車を走らせていたのである(決して真似をしてはいけません)。
「授業中スマホ」と言うのもある。授業中、講義も聞かずに机の下あるいは机上に置いたスマホの画面を指の先でつついている姿をよく見かけるようになった。もちろん私は「授業中スマホ」を禁止しているのだが、そんな注意は聞きもしない。注意した直後は止めた振りをするが、しばらくするとまたスマホに没入してしまっている。困ったことである。
「久しぶりにスマホに90分間触らないでいました」という感想を寄せた学生もいた。他の授業の先生は、まったく注意をしていないらしい。
企業人から大学教師に転じた当座、私は授業中の私語(おしゃべり)に悩まされたものだが、ある年を境にして授業中の私語がまったくなくなった。後から気が付いたのだが、それはケータイが流行りだした頃であった。私語するよりケータイで遊んでいる方がはるかに楽しかったのであろう。このように、携帯端末の存在が授業に及ぼす影響は年々大きくなってきている。そして今年は、スマホの存在(とその性能)が授業に影響を及ぼした年として後々まで記憶されるのではないかと思う。「授業中スマホ」を禁止しても、もはや守られなくなった年として。
更に、スマホの充電能力が貧弱なので授業中に充電しようとするけしからん輩が増えてきたことである。家で十分に充電しておいても、大学へ行くまでの電車の中で使い、授業中にも使い、休憩時間にも使い…していると、その日の午後になるともう電池切れになってしまうのだという。したがって常に学生達は電源を求めて歩き回っている。いつでも充電、どこでも充電… と。
私は「情報倫理」の授業中に、教室の後ろの方まで歩いていった折に教室の隅のコンセントに2台のスマホが接続されて充電中であるのを発見した。こういう行為を「盗電」と呼ぶことを事前に教えていたのであるが。
授業のついでに充電していると言うよりも、充電のついでに講義を聞いているという感じなのである。
食事中のスマホ、授乳中のスマホ、デート中のスマホ、… 。
恋人同士が手をつないで歩きながら、それぞれの空いている方の手にスマホを持ち、それぞれがスマホを指で巧みに操っている。これが普通の風景となる日も近いのではないか。いよいよ「ながらスマホ」の時代になったということであろう。
2013年12月26日木曜日
電話詐欺への対応
家に電話が掛かってくる。受話器を取り上げるとプツンと切れてしまう。そういうことがこれまで何度もあった。
ベルが鳴ると、その時やっていた仕事を中断し急いで電話機(または子機)の置いてあるところへ駆けつけるのだが間に合わない。5回くらいのコールで受話器を取ってもすぐ切れてしまうのだから相当に気の短い人が掛けてきたのだろうと考えたりしていた。
書斎で仕事をしていて机上の子機が鳴った時も、ワンコールで直ぐに取ったのに切れてしまう。これは怪しい! 家に人が居るかどうかの確認をしているのだろうか。そこで気が付いたのである。いわゆる“オレオレ詐欺”の電話かもしれないと。
“オレオレ詐欺”は、そこで使われる手法が進化(?)する度に名称変更を迫られ、現在は“振り込め詐欺”とか“母さん助けて詐欺”とか、これら三つの名称のいずれかが使われているようである。しかし切っ掛けはいつも家の固定電話のベルが鳴るところから始まるのだから“電話詐欺”と呼ぶのが妥当ではないかと思う。
私は電話詐欺らしき電話が掛かってきたら、その話に乗った振りをして犯人逮捕に協力したいとかねがね思っていた。しかしこれまでそういう会話をする段階まで進んだことは残念ながら一度もない。どうやら、電話に出た時のこちらの声の調子から、カモには不向きと思われたのかもしれない。そう反省(?)した私めは、できるだけ弱々しい元気のない声で電話に出ることにした。だが、今までのところ効果はないようである。
“声の調子”ということで気が付いたのだが、今まで「受話器を取り上げたら直ぐ切れた」と表現してきたが、実は受話器を取った直後に、私は「もしもし」という声を発していたのである。それだ! その声から、こちらが男であることを相手に知られてしまったのだ。相手は女性のカモを捜していたのではなかろうか。詐欺師は女性の方が騙しやすいと思っているのかもしれない。
そこで私は、受話器を取っても一言も声を発しないことにした。これは、はっきり言って効果があった。電話は直ぐには切られなくなった! こちらがしっかりと聞き耳を立てていると、相手の職場(?)の背後の騒音が聞こえてくることがある。事務所のような所で電話している声も聞こえる。あるいは受話器を取った直後に男の声の会話が突然中断された瞬間を捉えることがある。雑談していて電話の相手が出たので雑談を打ち切りこちらに意識を向けた瞬間なのだ。お互いに耳を澄まして相手の出方を窺がう。ドキドキするような瞬間である。こちらは絶対に声を発しない。
ある程度沈黙の時間が流れると、相手はあきらめて一言も発することなく電話を切るようだ。その直前にこちらから電話を切るのがコツである。何度もやっているとその時間間隔の頃合いが分かってくる。相手に“プツン”とやられるのは気分が悪いものですからね。こちらから“プツン”とやってやると逆に実に気分が良い。
これはあまり他人には勧められないが、私はその瞬間に相手を侮辱する言葉(2~3音の短い言葉がよい)を発してから素早く電話を切ることにしている(おぬしもワルよのう…)。
こういうワルいことをする(不作法な)男の提言など聞いてもらえないかもしれないが、私は電話というものは掛けた方がまず第一声を発するべきではないかと思う。電話を掛けられた方はそれを待ってから応答の声を発する。それが礼儀作法(マナー)と言うものではないか。あるいは、それを習慣にしてはどうかと提言したい。電話詐欺対策としても有効になるのではないかと思う。
ベルが鳴ると、その時やっていた仕事を中断し急いで電話機(または子機)の置いてあるところへ駆けつけるのだが間に合わない。5回くらいのコールで受話器を取ってもすぐ切れてしまうのだから相当に気の短い人が掛けてきたのだろうと考えたりしていた。
書斎で仕事をしていて机上の子機が鳴った時も、ワンコールで直ぐに取ったのに切れてしまう。これは怪しい! 家に人が居るかどうかの確認をしているのだろうか。そこで気が付いたのである。いわゆる“オレオレ詐欺”の電話かもしれないと。
“オレオレ詐欺”は、そこで使われる手法が進化(?)する度に名称変更を迫られ、現在は“振り込め詐欺”とか“母さん助けて詐欺”とか、これら三つの名称のいずれかが使われているようである。しかし切っ掛けはいつも家の固定電話のベルが鳴るところから始まるのだから“電話詐欺”と呼ぶのが妥当ではないかと思う。
私は電話詐欺らしき電話が掛かってきたら、その話に乗った振りをして犯人逮捕に協力したいとかねがね思っていた。しかしこれまでそういう会話をする段階まで進んだことは残念ながら一度もない。どうやら、電話に出た時のこちらの声の調子から、カモには不向きと思われたのかもしれない。そう反省(?)した私めは、できるだけ弱々しい元気のない声で電話に出ることにした。だが、今までのところ効果はないようである。
“声の調子”ということで気が付いたのだが、今まで「受話器を取り上げたら直ぐ切れた」と表現してきたが、実は受話器を取った直後に、私は「もしもし」という声を発していたのである。それだ! その声から、こちらが男であることを相手に知られてしまったのだ。相手は女性のカモを捜していたのではなかろうか。詐欺師は女性の方が騙しやすいと思っているのかもしれない。
そこで私は、受話器を取っても一言も声を発しないことにした。これは、はっきり言って効果があった。電話は直ぐには切られなくなった! こちらがしっかりと聞き耳を立てていると、相手の職場(?)の背後の騒音が聞こえてくることがある。事務所のような所で電話している声も聞こえる。あるいは受話器を取った直後に男の声の会話が突然中断された瞬間を捉えることがある。雑談していて電話の相手が出たので雑談を打ち切りこちらに意識を向けた瞬間なのだ。お互いに耳を澄まして相手の出方を窺がう。ドキドキするような瞬間である。こちらは絶対に声を発しない。
ある程度沈黙の時間が流れると、相手はあきらめて一言も発することなく電話を切るようだ。その直前にこちらから電話を切るのがコツである。何度もやっているとその時間間隔の頃合いが分かってくる。相手に“プツン”とやられるのは気分が悪いものですからね。こちらから“プツン”とやってやると逆に実に気分が良い。
これはあまり他人には勧められないが、私はその瞬間に相手を侮辱する言葉(2~3音の短い言葉がよい)を発してから素早く電話を切ることにしている(おぬしもワルよのう…)。
こういうワルいことをする(不作法な)男の提言など聞いてもらえないかもしれないが、私は電話というものは掛けた方がまず第一声を発するべきではないかと思う。電話を掛けられた方はそれを待ってから応答の声を発する。それが礼儀作法(マナー)と言うものではないか。あるいは、それを習慣にしてはどうかと提言したい。電話詐欺対策としても有効になるのではないかと思う。
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